働き方・学び方

孫子の「商法」

なぜ二宮金次郎はまきを背負った? 蓄財の商法に学ぶ

2017/8/8

報徳二宮神社(神奈川県小田原市)の金次郎像は貴重なオリジナル像だ

 新たな社会問題となってきた「歩きスマホ(スマートフォン)」。その影響なのでしょうか、「薪(まき)を背負った二宮金次郎像」に新バージョンが登場したそうです。最新の金次郎さんは腰を掛けて本を読んでいるのですよ。「座って本を読む」という金次郎像はどう見ても違和感たっぷり。今でも二宮金次郎といえば、「小学生のとき、校庭の隅に立っていたあの銅像」というイメージの人が多いはずです。

 ちなみに銅像の金次郎は、ちっちゃくてかわいらしい少年のイメージですが、大人になった金次郎は、一説によれば身の丈6尺(約180センチメートル)もあったそうです。江戸の当時、身長180センチメートルといえばかなりの大男のはず。銅像とは印象がずいぶん違いますね。

 彼が背負っている薪にも意外な真実が隠されています。今回は世間にほとんど知られていない二宮金次郎の「商法」についてご紹介しましょう。

 金次郎は江戸時代後期の1787年、現在の神奈川県小田原市で生まれました。貧しい農家だった家族は、近所の酒匂川が氾濫して田畑が流されるなど、かなり苦労したようです。

 「このままではいかん」とばかりに、金次郎は小田原藩の家老・服部家へ奉公に出ます。そこで熱心に働いて銭をため、25歳のときには箱根道の風祭村にあった薪山を購入しています。

 電気もガスもなかった時代に、薪は食事や風呂に必要なエネルギーでした。だったら山を買って薪をただで手に入れてしまえとは、なんとも破壊力抜群のアイデアです。

 体格の立派な金次郎は、奉公先の服部家から薪山まで約3キロメートルの道のりを歩いて薪を拾い(もちろん原価ゼロ)、必要な人にこれを売ることで銭を稼いだのです。

 彼はこの「粗利100%」の事業を独り占めせず、服部家の奉公人たちに「一緒にやろう」と呼びかけました。みんなでそろって薪を担いで山と街を往復するうち、だんだん銭がたまってきます。ある程度まとまったところで彼は服部家の人々と「五常講」を組織しました。この五常講、銭を貸し付けるファンドのようなもの。彼は五常講を通じて困った人に銭を貸し付けるだけでなく、その返済方法についてもアドバイスしていきます。

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