激戦区、歌舞伎町で居酒屋回り ビール会社の使命実感
キリンビール社長 布施孝之氏
歌舞伎町は営業エリアの中で最大の激戦区だった
キリンビールの布施孝之社長の「仕事人秘録」。第6回は東京・歌舞伎町で居酒屋や酒販店の営業に駆けずり回っていたころを振り返ります。
――西東京支店で初めての管理職。汗だくで歌舞伎町を自転車でまわる
1994年3月、新宿にあった西東京支店営業1課に異動になります。34歳の春のことでした。キリンビールが戦線を急拡大していたころで、雨後の竹の子のように支店がいくつもできていました。十数人いる課の課長になりました。
最初は居酒屋や酒販店の営業が担当でした。生ビールの品質を保つためサーバーの洗浄方法を教える指導員も課員として抱えていて「私も現場に一緒に連れていってください」と工場から配置転換された60歳前の課員に頭を下げ一緒に店をまわりました。
テリトリーのなかで最大の激戦区は歌舞伎町です。混雑した繁華街ですから車は使えません。洗浄器具を積んだ自転車を、炎天下に汗だくになりながら走って追いかけました。「いいか布施、よく見てるんだぞ」。父親のような60歳前の課員がくらくらする暑さのなかで、サーバーの洗浄方法を教えてくれました。
――得意先と朝まで飲む日々も多かった。居酒屋やバーを一晩で7~8軒回る日もあった
「本社で花形の仕事をしたい」。西東京支店に来てしばらくするとそんな気持ちはすっかりなくなっていました。代わりに芽生えてきたのは「キリンビールの業務用営業は弱い。自分が支えなければ」という思いでした。
がむしゃらに働きました。訪ねた酒販店や飲食店は何百軒。ビールを飲みながら話し込み、何軒もはしごして朝になったこともありました。そこで学んだことは今も私の財産です。