就活、デートのついでに本社訪問一点突破 再興に挑む(2)キリンビール社長 布施孝之氏

勝つためにはリズムが必要なことを学んだ(東京女子大監督時代、本人後列右から2人目)
勝つためにはリズムが必要なことを学んだ(東京女子大監督時代、本人後列右から2人目)

キリンビールの布施孝之社長の「仕事人秘録」。今回は入社当時や初配属のころを振り返ります。

――保険会社めざすつもりが…

その日、私はビーチサンダルでした。「明日は就職活動の解禁日」という1981年9月30日のことです。彼女(現在の妻)とのデートのついでに当時、東京・原宿にあったキリンビールの本社を訪れたのでした。「入社試験を受けたいのですが」と言うと「明日の朝9時に来てください」とパンフレットを渡されました。今、思えばのんびりした時代だったと思います。

もともと私は保険会社に行くつもりでした。それは私のゼミのOBのほとんどが日本生命や東京海上ホールディングス(HD)などに入社していたからです。私のゼミは保険論で早稲田大学の商学部では名門ゼミとされていました。そこに私は何とか滑り込めたのです。

ところが人生は分かりません。担当教授が突然、亡くなってしまったのです。ゼミは解散、私は途中からマーケティングのゼミに移りました。

マーケティングを研究するうえでビールは格好の素材でした。次第に親近感がわき、「そうだビール会社に入ろう」と思い立ちました。どうせならシェアが60%を超えていたキリンがいい、そんな程度の理由だったと思います。

入社試験は意外に順調で、とんとんと進み、2日目の最終面接まで残りました。緊張して何を話したか覚えていないのですが、記憶しているのが本山英世常務(後に社長)です。「君はキリンよりもサントリー(現サントリーホールディングス)が向いている。あっちを受けたら」というのです。「これはダメだな」と思いましたが、当日夜に内定の連絡がきました。