移ろう自然、文章に感じる
Jパワー会長 北村雅良氏
私は信州伊那谷の生まれです。5歳で東京に移りましたが、その後も夏休みには父の故郷でもある伊那谷を訪れ、南アルプスや中央アルプスの自然に囲まれて過ごしました。
中学、高校では生物研究部に所属してチョウや昆虫の標本作りに熱中、大学時代はワンダーフォーゲル部で山歩きに明け暮れました。今も自宅近くにある里山を、カメラとにぎりめし持参で歩き回るのが週末の過ごし方です。
ずっと手元に置いておく本も、自然や生き物に関係する本が多くなります。なかでも何かあると手に取るのが『自然手帖(てちょう)』です。
この本に出合ったのは、大学入試に失敗して予備校生活を送っているときでした。尾崎喜八や串田孫一ら、6人の著者が1年分を1日1ページ、日替わりで書いています。鳥や虫、草花など、すべて生き物についての話で、そこに標本画家として有名な牧野四子吉の挿絵が添えられています。
学者や哲学者、詩人など、生き物を愛し、人間を愛する著者の文章はどれもコンパクトですばらしい。眠れない夜には数編を読むと落ちつきます。たまたま開いたページで出合う植物や鳥たちも楽しみですが、続けて読み進めると「ああ夏が来た」「秋も深まった」と季節の変化を本の中に感じます。
ジュール・ルナールの『博物誌』は鳥や虫などの生き物が、意思を持つかのように語ります。これを岸田国士がみごとな日本語に訳しています。ルナールが生き物に語らせる「簡潔な表現」は、岸田が言う、ルナールの「簡潔な精神」に通じているのでしょう。
きたむら・まさよし 1947年長野県生まれ。東大経卒、電源開発(Jパワー)入社。取締役企画部長や常務、副社長を経て2009年社長。16年から現職。
00年は私の人生で大変な年でした。企画部長だった私は民営化に向けた準備のとりまとめにあたっていました。昼も夜もなく仕事に追われる生活を続けた結果、体調を崩し、医者から完全に休むよう指示を受けました。
一切頭を空っぽにしろ、と言われたときに書店でみつけたのが『ほんとの自分にもどる115のヒント』です。心理療法士の著者は、忙しさに流される毎日の中で自分を取り戻すためのヒントをたくさん示しています。
難しくはありません。たとえば、「今日は、お気に入りの本をちょっと読んでみよう」とだけ書いています。自分のお気に入りとは何だろうと考えて取り出したのが『自然手帖』でした。昔から生き物や自然が好きだったことを思い出しました。
この経験から、仕事に対する姿勢も変わりました。休んだとき、妻からは「1カ月あなたがいなくても企画部の人は働いてくれています。会社は大丈夫」と言われました。仕事はみんなでやるものです。部長や所長の仕事とは「俺がやるぞ」でなく、メンバーが楽しく幸せに働けるようにすることだと考えるようになりました。
大学に入ったのは1967年です。翌年には全共闘運動の高まりの下でストライキが全学に広がり授業がなくなります。自分もその中にいたのでこういう言い方はつらいのですが、みんな熱病にうかされたようになりました。
そんなときに東大駒場でドイツ語を教えていた西義之先生が訳したのが『ヒトラーが町にやってきた』です。ナチスの台頭をドイツの小さな町の出来事を通して描いた記録です。大切なのは、とんでもない独裁者が突然、現れたわけでなく、普通の市民がナチスを合法的に支持し、気がついたらヒトラーが支配する国になっていたことです。
人間は理性的だと思っていても、集団で熱狂すると思いもよらぬ残酷なことをしてしまいます。この本は自分が熱中する全共闘運動も、へたをすると憎しみと排除の論理に陥りかねないと気付くきっかけになりました。
塩野七生著『コンスタンティノープルの陥落』など3冊はいずれも史実に基づく話だけに迫力があり、現代に続くキリスト教世界とイスラム圏の対立の難しさを知ることができます。
「リーダーの本棚」は原則隔週土曜日に掲載します。