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私の課長時代

「赤字でも腹減るんだな」 不採算店に学び新業態生む 元気寿司社長 法師人尚史氏(下)

2017/5/28

■1997年に複数の店舗を管理する課長級のマネジャーに昇格。会社は急ピッチの出店で業界首位に躍り出た。

 会社が拡大していく雰囲気があり、新卒学生を毎年100人ほど採っていました。一方で、職人気質が薄れていくことに不安を感じていました。たとえばカツオにはネギとショウガを載せていたのが、作業効率を上げるためネギだけでいいとなり、お客さんからおいしくないと言われるように。しかし、当時はマネジャーに権限がなかったので、何も手を打てませんでした。

 その後、競合激化などで業績が悪くなり、会社は都心部の開拓に乗り出しました。2002年に東京駅前に新業態「東京元気寿司SUSHI DINING」を開業し、担当責任者になりました。宣伝になるなら多少の赤字は構わないという前提でしたが、次第に黒字化の圧力が強まりました。後から価格を上げられないし、コストを減らすために商品に妥協したくありません。コーヒーや朝食の提供などいろいろ試しましたが、黒字にできませんでした。

 会議で経営陣に責められ、いつも憤って反論していました。会議後に皆で食事に行く際、ある役員に「赤字でも腹減るんだな」と言われて悔しかったことを覚えています。

■業績低迷は続き、05年3月期から2期連続の最終赤字に。足を引っ張っていたのは100円均一の「すしおんど」だ。

ほうしと・たかし 1987年(昭62年)栃木県立益子高校(現益子芳星高校)卒、元禄(現元気寿司)入社。事業部長を経て2008年取締役、13年から現職。栃木県出身

 07年にすしおんど事業部長になり立て直しに取り組みました。店に行くと、人はたくさんいるのに商品が出てこない。「すしを回そうにも皿がない」なんていうことがざらでした。だから店に行ったら仕込みから握り、皿洗いまで何でもやりましたね。そのうえで店長と、なぜこうなっているんだと話し合いました。

 ライバル店もよく研究しました。「かっぱ寿司」などが先行していたタッチパネルを取り入れ、500円食べ放題といった販売促進も試しました。それでもお客さんは戻ってこない。完全に店のイメージが毀損していて、もう設備投資をしたって無駄だなと。

■09年から新業態「魚べい」を出店。取締役として陣頭指揮をとった。

 「すしおんど」で実現できなかった「低価格でも良質」というコンセプトを、オペレーションの刷新でかなえたかったからです。厨房の設計から人の配置まで細かく指示し、お客さんに商品を直接届ける特急レーンも導入したかった。社長や専務には「すしおんど」でやればいいと反対されましたが、一歩も引きませんでした。粘り勝ちです。

 店長やマネジャーを経験して痛感したのは、誰でも店を回せるオペレーションの重要性です。かつては店をきちんと回すのに気合と根性が必要で、私はたまたま頑張れる方でしたが、皆ができるわけではありません。誰もが毎日、同じレベルでできるシンプルなオペレーションをどう組み上げればいいか、考え抜いてきたことが今の店舗に結実しています。

<あのころ>
 1997年の消費増税によるデフレ経済も追い風に、100円均一など手ごろな価格の回転ずしがブームとなった。元気寿司も100円均一の「すしおんど」などを積極展開したが、郊外型チェーンの攻勢を受け2000年代前半に失速。不採算店の閉鎖など、立て直しに10年ほどかかった。

[日本経済新聞朝刊2016年8月2日付]

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