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私の課長時代

「はっきりしろ」 店長の仕事取り上げ、改革次々と 元気寿司社長 法師人尚史氏(上)

2017/5/21

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■元気寿司の法師人尚史社長(48)は入社後、若草店(宇都宮市)に配属された。

 最初の仕事は炊飯でした。大きな釜が4つあって、多い日で5、6回転させます。コメが炊きあがると、おけに移し、しゃもじで酢を混ぜる。熱中症になってもおかしくないほどの暑さです。厨房から店内をのぞくと先輩社員がすしを握っています。早く表に出たいと思いました。

 先輩は昔ながらのすし店で働いていた職人がほとんどで、すしの握り方は見ていれば分かるだろうという感じでした。でも自分はかわいがられ、「教えてやるから来い」とよく声をかけてもらいました。半年後にはお客さんの前で握れるようになりました。

■入社2年目には、異例の早さで副店長に昇格。企業イメージを考えるCI委員会に入った。

ほうしと・たかし 1987年(昭62年)栃木県立益子高校(現益子芳星高校)卒、元禄(現元気寿司)入社。事業部長を経て2008年取締役、13年から現職。栃木県出身

 CI委員会で接客の言葉を統一することになりました。注文の数え方は「1丁」「ダブル」などばらばらでしたが、「1皿、2皿」に改めました。見送りのあいさつは、私の考えた「また元気にお待ちしています」が採用されました。メンバーは決まったことを各自の店で試します。しかし、紙を配って説明しても仕事中は忘れてしまいがち。私は小じゅうとのように聞き耳を立て、間違いを見つけるたびに「さっき1丁って言ったでしょう? ダサイなあ」などと指摘していました。

 見られていると思えば、従業員に緊張感が生まれます。1カ月後には自分のいた店が全社のCIモデル店に選ばれ、会社のオーナーがわざわざ視察に来てくれました。

■副店長時代は、従業員の勤務シフトや予算の管理など店長の仕事を積極的に手掛けた。

 「やらせてもらっていいですか」と店長の仕事をどんどん取っていきました。夕方になると「そろそろテレビで相撲が始まりますから、どうぞ」と休憩を勧め、様子を聞かれても「全然余裕です」と。生意気な部下だったと思います。どうせなら自分でやりたかったんです。人に使われるより、自分が運営しているという感覚の方が面白いじゃないですか。

 副店長を5年ほどやって店長になりました。規律が緩んでいた店では頑張らない従業員に相当厳しく接しました。「できないのか、やらないのか。はっきりしろ」が口癖で、遅刻の多い社員を帰らせたこともあります。逆に、やる気があれば、立ち方から握り方まで徹底的に教えました。

 アルバイトが仕事をどんどん覚えたので、最初は5人いた社員が2人でも回せるようになりました。売り上げも全社で1位です。事業を統括する部長からは、ほかの店が困るので社員を減らさないでくれと言われましたが、「どこまで利益を出せるか追求したい」と拒みました。

<あのころ>
 回転ずしが誕生したのは1958年。20年後に特許権が失効し企業が相次いで参入、ごちそうだったすしが大衆化した。日本フードサービス協会によると、すし店(回転ずし以外も含む)の市場規模は75年の約5千億円から90年には1兆4千億円余に拡大。バブル経済も追い風となった。

[日本経済新聞朝刊2016年7月26日付]

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