カツ丼は卵とじ? いえいえ、ソースやたれ、皿盛りも
カツ丼礼賛(1)
料理や食材はもちろん、酒や調味料など、グルメの様々なジャンルに精通するエキスパートが、それぞれの専門分野を語る「食の達人コラム」。初回に登場していただくのは、首都圏はもちろん全国各地のカツ丼を食べ歩く俵慎一さんです。
小学生の頃から月に何度か連れて行ってもらった食堂で、毎回必ず頼んだのがカツ丼だった。
先ごろ30数年ぶりに訪れたその食堂はすっかりきれいになり、代替わりしていた。久々の味は、記憶に刻まれたものより上品なイメージだったが、その姿はトンカツとタマネギをだしとしょうゆ、みりんなどの調味料で煮て卵でとじ、仕上げに三つ葉を乗せるというまさに「THEカツ丼」であった。
全国各地に個性あふれるご当地グルメがあることは、まちおこしイベント「B-1グランプリ」ですっかり有名になった。なかでもやきそばは、地域ごとにかなり個性に差があることは、みなさんご存じだろう。
ご当地ラーメンほどバリエーション豊かではないものの、富士宮やきそば、横手やきそばをはじめ、各地各様のご当地やきそばは、大いに注目を集めた。そして、その面白さに気づいた多くの人たちが、現地を訪れ、食べ歩くようになった。
ラーメンややきそばは、麺の違い、スープやソースの違い、具の違い…オリジナリティーを発揮できる要素が豊富にあり、そこに地域性が生まれやすかった。
しかし、今回テーマに選んだカツ丼は、ごはんとトンカツが主役であり、実はバリエーションがあるとは全く思っていなかった。
そんな思いを覆されたのが、今から12年前の2005年。
訪れた長野県駒ケ根市は「カツ丼といえばソースカツ丼」という地域たっだ。駒ケ根のカツ丼はご飯とキャベツと特製ソースを絡めたトンカツが一体となっていた。
「カツ丼といえば卵とじ」だった私にとって、それは大きな驚きだった。
「カツ丼といえばソースカツ丼」という地域は長野の他、福島、福井、群馬にも存在する。こうした地域で卵とじのカツ丼が食べたかったら「煮カツ」あるいは「上カツ」「玉子カツ」などとわざわざ言わないと卵とじのカツ丼は出てこない。
しかも、福島のソースカツ丼は長野のものに近いが、福井と群馬は見た目も大きく違う。両県のソースカツ丼には、長野や福島では必須の千切りキャベツがない。そして福井のソースカツ丼はほぼ県全域で、薄めに揚げたトンカツが複数枚のせられている。
群馬のソースカツ丼は、桐生・前橋両市を中心とするエリアで食べられているもので、小ぶりのカツが数個のるタイプだ。
卵でとじないソースカツ丼地域の存在を知り、調べてみると新潟市内にはたれカツ丼というしょうゆベースの卵でとじないカツ丼があることもわかった。しょうゆベースは新潟市の他、群馬、埼玉、北海道などにも存在する。
ちなみに群馬は高崎市を挟んで大まかに西側がしょうゆベース、東側がソースベースという全国的にも珍しい非玉子とじの味の混在県である。
興味深いのは、同じ新潟県でも長岡には洋風カツ丼というメニューが存在することだ。
ただし、カツ丼と言いながら皿盛りで出される。
デミグラスソース、ケチャップ系ソースのカツ丼は岡山が有名だが、新潟県長岡市の他、岐阜、兵庫、愛媛にも存在する。
長い歴史を誇る店が多いからか、本格的なデミソースから、ケチャップへとソースをアレンジしたもの、中には和風だしが効いているものなどもあり、バラエティーに富んでいる。
さらには「あんかけ」というジャンルもある。
岐阜県瑞浪市のあんかけカツ丼は溶き卵のスープをベースにしたようなあんがトンカツにかかっている。
あんかけの仲間には、岩手に存在するとろみのあるソース系・しょうゆ系のあんかけ、大阪や広島にある中華風野菜炒めのあんかけのようなユニークなものもある。
ソース系で忘れてならないのは名古屋の味噌カツ丼。味噌カツ文化は愛知県から岐阜県にかけても広がっている。
食べつけないと好みがわかれるところだが、じわじわとひきつけられる。味噌がソースになっているのは個店を除けばこのエリアだけだ。
バリエーションはまだある。
玉子とじでもソース系でもない、いわばカツライス丼ともいうべきカツ丼が山梨県甲府市に存在するのだ。
何もかかっていない素のトンカツが乗り、千切りキャベツはともかく、驚くべきことにポテトサラダやトマト、パセリまで彩りでのる店もある。ソースは自分でかけ、トンカツの旨みを含んだソースがご飯にも染みるという寸法だ。
カツ丼と名の付くメニューで地域性のあるものをざっと紹介してきたが、これで全てではない。個店単位では、さらに個性的なカツ丼が数多く存在する。
長崎のトルコライスのような「カツアレンジメニュー」まで含めると、トンカツとごはんのバリエーションは全国各地に綺羅星のごとく存在するのだ。
カツ丼の奥深さの一端をおわかりいただけただろうか。
おそらくは、世の中ではまだほとんど認知されていないであろうカツ丼のバリエーションの豊かさ。カツ丼は、老若男女を問わず幅広く支持されている食べ物でもある。その魅力を、ぜひ多くの人に知っていただきたい、現地に食べに行っていただきたい、そう私は思っている。
ただしカツ丼は、何軒も食べ歩くには向いていないのが、ちょっと難点。ハーフサイズとか作ってもらえるとありがたいのだが…。
(一般社団法人日本食文化観光推進機構 俵慎一)
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