出世ナビ

私の課長時代

電話で「メキシコに行け」 すぐ大地震、音信不通に りそなホールディングス社長 東和浩氏(上)

2017/5/7

PIXTA

■りそなホールディングスの東和浩社長(59)は旧埼玉銀行に入行して4年目の秋、念願かなって海外に派遣された。

もともと「国際的な仕事をしたい」という漠然とした理由で銀行に入りました。最初の配属先の大阪支店で銀行員の基礎を徹底的にたたき込まれた後、手を挙げて海外研修の機会を得ました。当時の銀行は証券や国際業務を「新本業」と呼んで、人材育成に力を入れていたんです。

ひがし・かずひろ 1982年(昭57年)上智大経卒、旧埼玉銀行(現りそなHD)入行。2003年執行役、09年副社長、13年4月から現職。福岡県出身。

研修先はベルギーの予定で直前の夏休みはフランス語の勉強に励んでいました。ところが突然、電話で「メキシコに行ってくれ」と。訳も分からないまま1985年の秋にメキシコシティの駐在員事務所に向かいました。

到着後すぐマグニチュード8のメキシコ地震が発生し、数カ月間は家族ともほぼ連絡がつかない状態でした。当時のメキシコは債務問題を抱え、定期預金の金利が100%といった状況です。通貨ペソは信認を失っていました。1年間の研修で本格的に営業することはありませんでしたが、新興国の中に身を置き、モノの見方が全く違うと分かったのは貴重な経験でした。

■帰国後、今度はロンドン行きを命じられる。

メキシコから帰ってからは国際部門でプロジェクトファイナンス(事業融資)を担当しました。ところが1年くらいで「もう一度研修に行ってくれ」と言われ、大手証券のロンドン現地法人に派遣されました。「ブラックマンデー」と呼ばれる世界的な株価暴落が起きた87年のことです。

当時、埼玉銀行もロンドン現法の設立を準備中で、現地スタッフの採用などを手伝いました。「新本業」の証券の引き受けなど、手数料を得られる投資銀行業務をやろうとしていたんです。そうした経緯もあり、帰国した後も資本市場回りの銀行員らしくない仕事をしていました。

■91年には半年間、大手製薬会社に出向。顧客の側から銀行と向き合う。

経理部に所属し、転換社債の発行を手がけたり、他行との折衝に参加したりしました。企業側に立つと、考えていることが銀行と全然違うことがよく分かります。銀行が自分たちの収益を重視した提案をすると、それが顧客にも見透かされてしまう。「顧客のことを考える」という言葉の意味を痛感しました。

振り返れば、過去の経験はすべて将来につながっています。のちに大阪が地盤の旧大和銀行と一緒になり、りそなグループが発足するわけですが、振り出しが大阪支店で大阪の地理や企業が頭に入っているから顧客とも会話できます。メキシコ時代の経験はいま東南アジアで駐在員事務所をつくる際に役立っています。そして証券の引受業務で得た知識は公的資金の返済で生きました。人生で無駄になることは全くないんですね。

<あのころ>
東氏が海外経験を積んだ1980年代、邦銀は横並びで海外に進出した。13行あった都市銀行に加え、長信銀や信託銀、大手地銀もロンドンやニューヨークにこぞって拠点を開設。海外融資を伸ばした。だが、バブル崩壊と90年代後半の金融危機で海外からの撤退・縮小が相次いだ。

[日本経済新聞朝刊2016年7月5日付]

「私の課長時代」記事一覧

マネジメント層に必要な4つのスキルを鍛える講座/日経ビジネススクール

会社役員・経営幹部の方を対象とした、企業価値を高める経営の実務に役立つビジネス講座を厳選

>> 講座一覧はこちら

出世ナビ 新着記事

ALL CHANNEL