変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック

xiangtao / PIXTA

xiangtao / PIXTA

「神様がおりてくるって、あるんですね……」と、しみじみ語ったのは今年82歳の渡辺恵子さんだ。「このネットコラムで80歳代の話ってどうなのよ?!」とおっしゃる気持ちもわかるが、「モヤモヤする30歳代」「釈然としない40歳代」「気力の衰えを感じる50歳代」なら「なるほど!」と感じてもらえるかも知れないと続けてみる。

渡辺さんが中学を卒業したのは日本が戦争に負けてまだ5年。地方の農家でつましく暮らす両親や兄弟を見れば「高校進学」など口にできなかった。

担任の先生は、本好きで成績優秀な彼女を高く評価していただけに、彼女が進学できるよう努力してくれたが、その願いは結局かなわなかった。

教師「何もしてやれなくて申し訳なかった(涙)」

渡辺「中学で十分学べたから大丈夫です。安心してください」

むしろ生徒が先生を励ますようにして、彼女は地元の農協で働き始めた。とはいえもともと向学心の強い彼女の「学びたい」との思いは募るばかり。20歳のころ、夜間高校で学ぶべく上京した。

東京の工場仕事は多忙を極め、夜間高校には通えなかった。その後、26歳で結婚。29歳で第1子を授かったのが1964年。東京オリンピックが開催されたその年の暮れ、超高倍率の新築公団住宅の抽選に見事当選!

「わあ、こんな私にも神様がおりることがあるんだ!」

しかし、「本当に神様がおりる」には、まだ52年の歳月が必要だった。妻となり母となっても彼女の向学心が薄れることはなかった。家事の合間を縫って、歩いて20分近くかかる駅前の書店に通い詰めた。書店という「知的空間」は彼女の憧れでもあったのだ。

「立ち読みばかりでは申し訳ない」と、厳しい家計からひねり出したお小遣いから気になる本を必ず1冊購入した。

ある日店主が彼女に声をかけた。「お客さん、この本、読んでみない?」

アマゾン・ドットコムの「リコメンド機能」がない時代、「良書との出会い」には「目利きの書店」が欠かせなかった。紹介された、与謝野晶子訳の「源氏物語」に彼女の知的好奇心が揺さぶられた。「育児を終えたら本格的にこれを学ぼう!」

「生涯の恩師」との出会いで「源氏」学ぶ

それから20年ほどたった1987年。彼女は52歳になっていた。最寄り駅から2つ先の駅前にオープンした某カルチャーセンターが「源氏物語の講座」を開設するのだという。取るものも取りあえず駆けつけた。

早稲田大学教授との出会いが渡辺さんの「学び」を変えた

早稲田大学教授との出会いが渡辺さんの「学び」を変えた

講師は源氏物語研究の第一人者、早稲田大学教授の中野幸一先生! これが「生涯の恩師」との運命的な出会いだった。

先生の雅な声と達筆な板書に「これが学校で学ぶということだったのか!」と感じた。

この講座では受講生も先生から指名され音読させられる。渡辺さんは自宅に帰るや「次の授業で、あてられるかも知れない場所」に「山を張り」、テープレコーダーに向かい大声で「源氏」を読みあげる。ご主人は嫌がるどころか、うれしそうに聞き入っていたそうだ。

その2年後、早稲田大学がオープンカレッジをスタート。中野先生が高田馬場の早稲田キャンパスで「源氏」の講義を担当すると聞いた。往復約4時間の通学や学費が少し気になったが、息子の言葉が後押ししてくれた。

「僕はもうじき大学を卒業する。今度は母さんが大学に通う番だ」

結局、早稲田には66歳まで13年通学。源氏物語以外に、更級日記、蜻蛉日記、伊勢物語、平家物語、土佐日記などを学んだ。各分野の諸先生方に教わり、学部生が驚くほど多くの単位を獲得した。

早稲田での「修了」後も今に至るまで中野先生から学ぶ日々は続いている。現在は紫式部日記に取り組んでいるそうだ。

パソコンで原稿書き、「82歳の新人作家」に

転機が訪れたのは81歳になった2016年のことだ。

渡辺さんの妹「お姉さんは、中野先生から30年以上も教えていただきながら、論文1本書かないのはもったいない。どこかに投稿するとかして書いてみたら?」

確かに「学び取る」という「インプット」ばかりで「成果を発信する」という「アウトプット」がなかった。

渡辺「応募条件にある『ワード原稿を添付してメールで送れ』って、何? 私はパソコンできないし……」

戸惑う母を見かねた息子がパソコンをレッスン付きでプレゼントしてくれた。「生まれて初めてパソコンで書いた原稿」が某財団募集のエッセーコンテストで「佳作」に採用された。それが書籍に掲載されたことで「味をしめ」、佐藤愛子さんら主宰の「随筆春秋」や直木賞作家の出久根達郎さんが審査する作品展などで次々と賞を得た。

17年に入ると「ふくい風花随筆文学賞・最優秀賞(福井県知事賞)」を皮切りに「日本語大賞(文部科学大臣賞)」を獲得。「82歳の新人作家」として注目を浴びつつある。私は「日本語大賞」を主催する「日本語検定委員会」の審議委員として表彰式当日、渡辺さんにお目にかかった。

話を冒頭に戻す。

「モヤモヤする」「釈然としない」「気力がわかない」など「心理的な問題」の根本には「やりたかったけどできぬまま今に至った」がゆえの「引っかかり」が存在する場合がある。「引っかかり」を抱えながら生きるのも人生だが、「引っかかり」に果敢にチャレンジするという道もある。

80歳を過ぎた今でも「学び続ける原動力」は何なのかを、渡辺さんにうかがった。

渡辺「勉強好きだった私が、勉強を続けられなかった無念があったと思います。そんな心残りがこの数十年の『学び』でようやく解消されました」

ゲシュタルト心理学では「未完の行為(unfinished work)」という言葉が登場する。ザックリいえば「やりたかったけどやれずにいた心残りが、あとで心理的不具合をもたらす」(ザックリ過ぎるが……)。

渡辺「これといった取り柄のない私が、こんな風に賞を頂くなんて。この歳になって神様がおりるなんて、夢みたい……」

渡辺さんよりずっと若い人たちの「モヤモヤ」「釈然としない気持ち」「気力減退」の背景に「未完の行為」はないだろうか?

※「梶原しげるの「しゃべりテク」」は木曜更新です。次回は2017年4月20日の予定です。

梶原しげる(かじわら・しげる)
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。著書に『すべらない敬語』など。最新刊に『まずは「ドジな話」をしなさい』(サンマーク出版)がある。

新着記事

Follow Us
日経転職版日経ビジネススクールOFFICE PASSexcedo日経TEST

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック