どん底「夕日ビール」で組合10年、リストラと対峙アサヒグループHD社長 小路明善氏(上)

アサヒビール社長時代の小路明善氏(2015年1月、東京・千代田)
アサヒビール社長時代の小路明善氏(2015年1月、東京・千代田)

アサヒグループホールディングスの小路明善社長(64)はアサヒビール入社5年目で労働組合の専従となった。

営業で飛び回っていたときに打診されました。何をするのかわからず当初は断りましたが、何度も説得されて受けました。当時、アサヒビールは「夕日ビール」と呼ばれ業績はどん底。リストラ策を巡って会社と従業員の間に立つことが大きな仕事でした。

その1つが500人超を募った希望退職です。社内は重苦しい雰囲気が漂い「残るも地獄、去るも地獄」と評されたほど。各地の工場に足を運び、組合員と膝を交え意見を聴きました。あるとき、退職に応じる50代半ばの組合員から「声なき声に耳を傾けてほしい」と告げられました。会社や組合への不満は漏らしませんでしたが、その後の生活を考えれば思うところは多かったに違いありません。真意をくむことの難しさや大切さをかみしめました。

1989年に銀座エリアの営業を担う課長に起用される。

こうじ・あきよし 1975年(昭50年)青山学院大法卒、アサヒビール入社。2001年執行役員、07年常務。11年社長。16年から現職。長野県出身。

後任のなり手が出て来ず10年も組合を経験した後、念願の営業に復帰しました。主な担当は銀座近辺の飲食店の営業でした。お店を地道に回り競合他社のビールから自社製品に変えてもらうのです。都内屈指の激戦区ともいえる銀座には、競合も手だれの営業マンを張り付けていました。

最初は営業エリアを地下鉄や車で回っていましたが、意外と遠回りをしていると気付きました。ひらめいたのが自転車です。総務部に直談判して購入してもらいました。効果は早速表れ、1日に20件近く店を回れるようになりました。スーツ姿で路地裏やガード下を疾走する光景は話題となり、競合の営業マンも次々とまねを始めました。

銀座担当になる直前の87年にアサヒビールはスーパードライを世に送り出した。

現場で目の当たりにしたスーパードライの勢いはすごかったです。ただ、飲食店は単に商品を売り込む先でなく、パートナーと考えていました。店を繁盛させるお手伝いをするのが営業の仕事なのです。店の商圏を来店客の会話から割り出したり、競合店の混雑時間などを調べたりしました。足も使って情報を拾うのです。「情報戦」をいかに制するか知恵を絞りました。

ビール会社の営業はハードです。早朝に自転車で出動し、帰宅がいつも午前0時過ぎの生活が続きました。痛飲することもありますし、精神的にもプレッシャーがかかります。ただ自ら立てた目標をクリアした時の達成感は何事にも代えがたい経験です。銀座のガード下に、とある焼鳥店があります。当時、通い詰めて他社から切り替えてもらったのですが、うれしいことに20年以上たった今もアサヒを扱ってもらっています。

〈あのころ〉
アサヒビールは1987年にスーパードライを発売した。当時は苦みのあるラガーが主流だったが、キレのあるすっきりした辛口のドライは爆発的ヒット商品となった。その後、競合との「ドライ戦争」も勝ち抜き低迷していたシェアを急速に挽回。わずか10年ほどでトップの座を奪取した。

[日本経済新聞朝刊2016年5月24日付]

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