マンション成約数でトップに 「損失回避」の営業術
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「先月、契約件数トップで表彰されたんです!」。そう鼻高々に語るのはマンション販売会社に勤めるA君。まだ若い彼が先輩たちを押しのけて会社の月間トップセールスになったのだとか。どちらかといえば性格暗め、ぼそぼそと話すA君は、こう言っちゃ悪いが、とてもトップセールスマンには見えません。
「どうしてそんなに売れたの?」と素朴な疑問を投げかけました。それに対してA君は「セールスのポイントを変えてみたんです。先生に教わった『損失回避』を全面的に打ち出したらうまくいきました!」
いよいよ前のめりになって興味津々な私。「それってどういうこと? なにが損失回避なの?」。すると彼は勝利の秘訣をこう教えてくれました。
「団信をちゃんと説明するようにしたんです」
「え、団信って、あの団信のこと?」。開いた口がふさがらない私。それでマンションが売れるなんて、ウソでしょう。ちなみに団信とは団体信用生命保険の略称です。住宅ローンを組むとき、いつの間にか加入させられる保険のこと。団信なんて、マンション会社や銀行にとってはイロハのイであり、専門家はいちいち説明などしません。「団信に加入していただきます」と一言ですませてしまう制度です。
団信に加入すると、返済中に契約者が死亡したとき、残りのローンが団信から支払われます。簡単にいえば、団信は住宅ローン契約時に結ぶ生命保険のようなもの。たとえば団信に加入したお父さんが亡くなったとしても、残された家族は「ローン返済なし」でその家に住み続けることができるのです。繰り返しになりますが、専門家にとってこれは「当たり前」すぎる制度です。だからいちいち細かく説明をしません。そこにA君は目を付けました。
商品を売り込むのではなく、不安や困りごとを回避する
「これはいける!」
そう思った彼は、マンション購入を検討しているお父さんに対し、団信の内容とメリットをこと細かに、さまざまな角度から説明したそうです。「いざというとき、これで家族を守れます」と。これは団信のメリットというより、家族のことを心配するお父さんへの「損失回避」の提案です。団信に入るのは生命保険と同じことなんです――。このセールストークは保険好きのお父さんに効果抜群。彼はこれによってたくさんの契約を成立させたというわけです。私にとって、この話は「まさか!」でした。おそらく彼の先輩たちも同じだったことでしょう。
このほか彼は自分のセールストークをすべて見直し、「メリットを語る」のではなく、「お客さんの不安や困りごとを回避する」損失回避トークに変えたのだとか。「緊急病院が近くにあって、家族が急病のときに5分で行けます」とか、女の子がいる家族には「明るい商店街だけ通って帰れるので安心です」とか。いやはや、お見事な損失回避の奇襲!
ここで、彼の行った「団信セールス」には見逃せない注目点があります。それは「自分にとって『当たり前』だが、お客さんは『知らない』ポイントを見つけた」というところ。自分にとっては当たり前だが、相手は知らない。自分は知っているが、相手は気付いていない。そんな「情報格差ポイント」を見つけることで、お客さんの心を動かすことができます。
これは「奇襲」を繰り出すうえで、相当重要なポイントなのかもしれません。奇襲の基本姿勢は「相手の意表を突く」こと。最も簡単かつ効果的に「意表を突く」方法が、A君のように「情報格差ポイント」を見つけることです。
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成功した男たちが銀座の高級クラブに通い詰める理由
インターネットの花屋「ゲキハナ」を経営する古屋悟司さんはそんな「情報格差ポイント」を見つけて、お客さんに向けて効果的に情報提供する達人です。「弱ったお花に肥料はあげないで!」とか、「乾いたらたっぷりあげる水やりは必ずしも正しくない」とか、彼のメッセージにはいつも「ハッ」とさせられます。
おそらく花屋にとってそれは「当たり前」なのでしょうが、多くのシロウトはそれを知りません。そんなポイントを見つけて情報を提供する、これでゲキハナはファンをつくっているのです。
もっと簡単なところでは、たとえばスーパーの揚げ物コーナーで見かけた「本日あげたて!」のメッセージ。……当たり前じゃないですか、これ(笑)。でも、それがあるとないとではお客さんの印象が全く違います。すべての商売人のみなさん、自分にとっては『当たり前』でも、それはもしかしたら価値ある情報かもしれません。ぜひそんなポイントを見つけましょう。
そんな「情報格差ポイント」を人間関係に応用し、円滑なコミュニケーションを築く方法を最後にご紹介します。それはあまりに当たり前すぎて、誰もが見逃している重要ポイントですが、効果てきめんを保証します。
先日、3人で酒を飲みました。メンバーは私、上場企業の取締役、某難関資格の協会理事。かなり酔いが回った夜ふけ、「誰も俺のことを褒めてくれない」という愚痴の言い合いが始まりました。みんな50歳を過ぎ、社会的にそこそこ成功したといえる人間です。しかし、がんばって「成功した」回数の多い人間ほど、周りはその成功に「慣れる」ので、やがて誰も褒めてくれなくなるのです。
私も初めて本を出したときは家族・友人みんなから「おめでとう」と祝ってもらいましたが、20冊以上書いた今となっては新刊が出ても「あ、そう」でおしまい。成功した経験が多いがゆえに褒めてもらえない。上場企業の取締役から「家に着いたとき、カーナビから『おつかれさまでした』と言われただけで和むんですよ」と聞いて、私はもらい泣きしそうになりました。うんうん、よくわかる、その気持ち。だからオヤジたちは、くだらない成功を手放しで褒めてくれる銀座のクラブに通うのですよ。
読者の皆さん、あなたにとって成功が「当たり前」の上司でも、「褒め言葉」を待っています。ぜひ、さりげなく「すごいですね」と褒めてあげてください。もし、この連載を読んで面白かったと思った読者は、いつか私に声を掛けてください。「面白かったです」と。ビール1杯ぐらいはおごります。
※「奇襲で勝つビジネス心理戦」は火曜更新です。次回は4月4日の予定です。
田中公認会計士事務所所長。東京都立産業技術大学院大学客員教授。
1963年三重県出身。早稲田大学商学部卒。「笑いの取れる会計士」としてセミナー講師や執筆を行う一方、落語家・講談師とのコラボイベントも手がける。著書に「良い値決め 悪い値決め」「米軍式 人を動かすマネジメント」「実学入門 経営がみえる会計」(いずれも日本経済新聞出版社)など。