タイ、春彩る桜色の美味 日本人の舌に根付く高級魚
「尻尾、ありますよね」
名古屋で飲食店をやっていたある日。釣り人だというお客さんと話がはずみ「伊勢湾のコウナゴが解禁になったね」「穴子もこれからがうまくなりますから」など、魚談義が止まらなくなった。おりしも季節は春。水温の上昇とともに魚の顔ぶれが変わり始める、食べ手にも釣り人にも嬉しい季節だ。
他ではあまり見かけないレアな魚を提供するのがモットーの当店だったが、その日の目玉は王道中の王道・天然マダイ。釣り人氏も薄造りと松皮造りでまず一杯。カマの塩焼きでもう一杯。刺身に使わなかった皮をカラッと揚げた皮せんべいで、とどめの一杯。
「アラはある?」「ありますよ。潮汁いきますか?」「もちろん!」と、フルコースで楽しんでいかれた。
もうお腹もいっぱいだろうし、終電も近い。そろそろお会計かな?と予測していたところで言われたのが「尻尾、ありますよね」だった。
アラがあるということは、一尾まるごと仕入れたということ。カブトは他のお客さんに取られてしまった。それなら尻尾をくれということだったのだ。
確かに尻尾はある。大きなタイだったから、尻尾もそれは立派なもんだ。だがその尻尾は、仕事終わりに私がまかないで食べようと楽しみにしていたもの。もう合わせる酒の銘柄まで決めていたものだ。まさか尻尾に気づく人がいるとは。まさかこんな夜ふけに人に取られるとは!
「魚の王様」「腐っても鯛」などと言われるように、タイには他の追随を許さない味の良さがある。上身はもちろんのこと、尻尾の骨の間にひそむ肉をせせるだけで、ああなんとうまい魚なのだと感心してしまう。
おまけに姿がいい。色もいい。めでたい宴席の尾頭付きはマダイでないとしまらないし、神社の神饌にもマダイがいちばんおさまりがいい。徳川家康の死因のひとつと言われている「タイの天ぷら」だって、これが「イワシの天ぷら」だったら後世まで語り継がれたかどうか怪しいものだ。
その味わいは淡白にして、旨味十分。古くから高級魚として珍重されていたため、明治40年には海水魚として最も早く養殖がスタートした。高級魚でありながら庶民的でもある理由は、この長年の歴史と技術に裏付けされた安定供給によるものだろう。おそらく今の日本で、タイを置いてない魚屋やスーパーを探す方が難しい。
「めでタイ」との語呂合わせから祝儀に使われるタイはまた、「あやかりタイ」と多くの魚から名前をリスペクトされる存在でもある。タイの仲間でもないのに「…ダイ」とつく魚のなんと多いこと。中にはおよそマダイとは似ても似つかぬものもあるが、いいじゃないか。王者の余裕だ、言わせとけ。
桜の季節は、タイが最高においしくなる季節でもある。別れと出会いの春。見送りタイ人、迎えタイ人との宴は、桜と桜鯛で決まりだろう。
醤油大さじ1、すりごま大さじ1、みりんか酒小さじ1を合わせたものに、タイの刺身6切れを3分ほど漬ける。茶碗によそった熱々ご飯の上にタイの身を並べ、三つ葉とあられを散らし、わさびを乗せる。熱々のお茶を注ぐ。
※ご飯もお茶も熱々にしておくのがコツ
※すりごまを使わずに、鍋かフライパンでごまを軽く炒り直してすると極上の香りに
(食ライター じろまるいずみ)
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