出世ナビ

「奇襲」で勝つビジネス心理戦

話しやしぐさの絶妙な「間(ま)」が客を動かす

2017/3/14

xiangtao / PIXTA

 「点検終了しました!」という声が向こうから聞こえました。仕事場にやってきた彼はビル設備点検の担当者。「お疲れさま」と私は差し出された終了確認の書類にサイン、これで終わりと思ったその瞬間です。作業服姿の彼が、私に向かってこう言うのです。

 「あのう、ちょっとおききしてもよろしいですか?」

 「何か問題でも?」といぶかしがる私に向かって、彼いわく「もしかして著者の方ですか?」。いきなりの奇襲攻撃に面食らって、「あ、うん、そうだけど、どうして分かったの?」と私。すると彼は「やっぱり!会議机に同じ本がたくさん積まれていたので、そうかなと思ったんです」。

 「なるほど、よく見ているね」と感心した私。そのあとしばしの時間、そこに置かれていた新刊の内容について話をしました。彼は帰り際、「お話しさせてもらって光栄です。本、ぜったい買わせていただきます!」とペコリとお辞儀、仕事場にさわやかな余韻を残して帰っていきました。

 このやりとり、設備点検の担当者としてはギリギリだと思うのです。会社の業務マニュアル的に見れば、もしかしてアウトかもしれません。顧客のプライベートにかなり踏み込んでしまっていますからね。でも私からすれば、彼の踏み込み方はむしろ心地いいものでした。自分の書籍に興味をもってくれる人に不快感をもつ著者がいますかって。

 いささか古い言葉で表現するなら、彼は「ヨイショ」がとてもうまかった。ヨイショとはその昔、噺家(はなしか)さんが隠れて使った隠語であり、相手を持ち上げることを言います。ヨイショは上っ面のご追従、歯の浮くようなお世辞とは根本的に違います。ご追従やお世辞は「その場限り」で空気を取りつくろうもの。これに対して「ヨイショ」は大岩を持ち上げるがごとく、乾坤一擲(けんこんいってき)の気合いを込めて繰り出す必殺の一撃です。並みの人間にはできません。相当の経験を積んだ熟練者でないと真のヨイショは不可能なのです。

■すてきなヨイショを決めるのは、「間(ま)」の取り方

 彼はまだ20代とおぼしき若さでしたが、ヨイショについてはかなりの手練れでした。彼の上司には、ぜひ言いたい。「マニュアルがどうあれ、彼のような人間は大切にしたほうがいいですよ」と。とにかく彼は間(ま)のとり方が絶妙でした。間(ま)とはタイミング、顧客との距離感です。この間(ま)をうまく取らないとヨイショはうまくいきません。

 最近、彼のように上手にヨイショできる人が減ってきました。ヨイショのルーツである噺家さんはよく言います。「落語は間(ま)がすべて」。同じ噺をしているのに、面白い落語家と面白くない落語家がいます。また、あるときは爆笑だったのに、別の場ではまったくウケないことがあります。これらはすべて間(ま)なんですね。

 「効率的」であることが優先される近年のビジネス界では、何ごとも短時間で手早く処理することが求められます。そうなると必然的に「間(ま)の悪い」人が増えてくるようです。早いけれど味がない、正しいけれど面白くない、頭は良いけど魅力がない。そんなビジネスサイボーグたちであふれるビジネス界。だからこそ間(ま)で勝負するヨイショの奇襲がきわめて効果的なのです。

 間(ま)が大切なのは個人だけではありません。すべてのビジネスにおいてもしかり。みんなそろってスピーディーな接客を心掛ける今だからこそ、一呼吸の間(ま)をおくだけで「おっ」と思わせることができます。

ビールスタンド重富の重富寛さん(写真提供は筆者)

■ビールも注ぎ方の「間(ま)」で格段においしくなる

 先日、高級ホテルの玄関ロビーで「バーはどこですか?」と訊いたときのこと。ここで「エスカレーターで2階に上がっていただき、その右側です」と案内されるのが間(ま)のない正攻法。しかしそのホテルは違いました。私の名前をきいた後、「ただいまバーに空席を確認してみますので、少々お待ちいただけますか」。そのあと、バーに着いた私に、入り口で迎えてくれた女性はにこやかな笑顔で、こう一言。

 「田中さま、お待ちしておりました」

 これだけでなんだか上等な気分になってしまい、高い酒をたらふく飲んでしまった私。なんと単純な人間なのでしょう。それにしても、かくも偉大なり、間(ま)の効果。

 ついでにお酒ネタをもう一献。広島にビールスタンド重富というお店があります。重富寛さんが経営するこのお店、私が知る限り日本で一番おいしいビールを飲むことができます。出されるのは地ビールでもベルギービールでもありません。きわめてふつうのアサヒ生ビール。しかし重冨さんはビールの注ぎ方だけで味を変えてしまうのです。メニューには「1度注ぎ、2度注ぎ、3度注ぎ、重富注ぎ」。

 初心者の多くは「1度注ぎ」を注文し、ゴクッとやってその新鮮な味に驚きます。「ビールって、こんなに美味しかったのか!」と。そして2杯目、変化を求めて3度注ぎを試してみましょう。3度注ぎを注文するとすると、重富さんからこんな声が返ってきます。

 「5分ほどお時間いただけますか」

 素早く出てきた1度注ぎとちがって、3度注ぎのビールは時間が掛かるようです。この5分の間(ま)がとても重要なんです。待たされる間に「どんな味なんだろう?」と膨らみつづける期待。そして出された3度注ぎは、さっきと全然違う味わい。思わずビールファンは「おおっ」と歓喜の声をあげてしまうのです。ビールのうまさもさることながら、ここでも5分の間(ま)が重要な役割を果たしています。

 正攻法はスピード勝負、そして奇襲は間(ま)で勝負。5分を縮めようと努力するのか、それとも5分を味方に付けるのか。あなたは人生と商売に、どんな間(ま)をつくりますか?

「奇襲で勝つビジネス心理戦」は火曜更新です。次回は3月21日の予定です。

田中靖浩(たなか・やすひろ)
 田中公認会計士事務所所長。東京都立産業技術大学院大学客員教授。
1963年三重県出身。早稲田大学商学部卒。「笑いの取れる会計士」としてセミナー講師や執筆を行う一方、落語家・講談師とのコラボイベントも手がける。著書に「良い値決め 悪い値決め」「米軍式 人を動かすマネジメント」「実学入門 経営がみえる会計」(いずれも日本経済新聞出版社)など

値決めの心理作戦 儲かる一言 損する一言

著者 : 田中 靖浩
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 1,512円 (税込み)


出世ナビ新着記事

ALL CHANNEL