「頭が悪い」じゃ済まない ボキャブラリー不足は深刻
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ボキャブラリーが足りない人は「相手を不安に陥れる」
「語彙力がないまま社会人になってしまった人へ」(ワニブックス)。書店でこのタイトルを見て、ちょっとビビったビジネスパーソンがいるかもしれない。はるか昔に社会人となった私でさえ「私のこと?」と、つい書店で手に取って、ページをめくってしまった。
著者は大東文化大学の山口謡司准教授。山口先生とは「顔見知り?」「顔なじみ?」(早くも語い選択に苦しむ私……)だ。連絡したらラジオのスタジオに来てくださった。
山口「大学で以前教えた学生が出版社に就職。自らの心境をそのまま本にしたいと、私のところへ10年ぶりでやって来たのが、この本のきっかけでした」
梶原「出版社に就職したぐらいだから、もともと優れた語い力を持っていたんじゃないですか?」
山口「そのはずですが、社会人として求められる高度なレベルの語い力にはまるで手が届かないと、本人は悔いたようです。そこで、同じように感じる読者に届く本を出版したいと」
こうして出来上がったこの本のごく一部を加工して抜き書きする。まず伝わってくるのは「語い力不足の恐怖」だ。
「『頭が悪い』と『語い力がない』はイコールだ」
「仕事の力量云々(「でんでん」じゃないですよ……)以前の語い力であなたの評価が決まってしまう」
「『代替案(だいたいあん)を考える』と言うべきところで『だいがえ案を考える』と言う語い力のない人は、『コイツで大丈夫か?』と、相手を不安に陥れる」
「語い力の多少が思考の多様性と思慮の深さ、配慮のあるなしを決定づける」
「語い力がないまま社会人になった人」の一人として「その通り」とうなずきながら、ため息が出た。
「言葉知らず」は「言い間違い」よりダメージが大きい
「語い力がないままアナウンサーになってしまった私」は「えらい目」にあった。そもそも「語彙」(「彙」ではなく「い」と、ひらがな表記だったのが災いした)を「ごい」ではなく「かたらい(語らい)」と読んでしまう「事故」をやらかした。
梶原「今『かたらい力』が注目されています。○町では地元青年団が中心となって、『かたらい力・向上運動』が始まりました。講師に招かれたのは……」
新米アナウンサーは「語い」=「語らい」=「語り合うコミュニケーション」だと信じて疑わなかった。「日本人は会話が苦手だから、そういう語らいを学ぶ試みは素晴らしい」なんてね。詳細は省くが、「クビになるかもしれない」と思った。
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深く反省した割にはそのすぐ後に「老朽化したモルタルアパートの火災で」の「ろうきゅうか」を「ろうこうか」とニュースで読み、局に抗議のお電話をたんと頂戴することとなった。
電話の主「火災という悲惨な災害で不謹慎! 被害にあった人達を軽んじるから、そういう間違いを平気で垂れ流す! バカを降ろせ」
今で言うなら「炎上」だ。一度口に出したこの「あやまち」の「消火」も困難を極めた。「語い不足」は「うっかりの言い間違い」よりずっと深刻な事態を引き起こしかねない。
山口「社会人になる前、受験や入学後のゼミやクラブ活動や就職活動などを通じて語いを仕入れた学生だっているでしょう。そういう人でも、多くは世間に出て3年もたって『こんなものか』と人生をなめてしまえば、語い力はたちまち細る。実際に25歳前後から語いの取得数が極端に下がる現実がある」
なぜ言葉のレパートリーは25歳から減り始める?
25歳を過ぎた「大人」に「その言葉遣いは違う」とダメ出ししてくれる先輩、上司もめっきり減った。「語い力不足」を注意することは「家庭環境から知的レベル、人格までをも否定するパワハラ行為」という認識が広がっている。こうしたシビアな現状に気が付かぬまま、仲間同士で『あるある!』『エモい!』『いいね!』を乱発し合うような「空気を読むだけの上っ面会話」で「無難な人生」を送る連中が、実は「一番無難でない人生」を呼び込んでしまうらしい。
山口先生の著作が「極端だ」なんてことはまるでない。2016年に発売されてベストセラーになった「語彙力を鍛える」(光文社新書)で著者の石黒圭先生も書籍冒頭でこう記している。
「語彙力と頭の良さとが関係があるのは、経験的に知られていることです」
「廉価をケンカと読んだり出納をシュツノウと読んだりするのを聞いたら、相手のビジネスパーソンは、成立しかけていた取引を控えたくなるのではないでしょうか」
「人間の思考力を規定するのは言語力であり、言語力の基礎になる部分は語彙力に支えられています」
梶原「山口先生! じゃあ、どうすれば語い力を伸ばすことができるんですか?」
山口「新聞を声に出して読むことです」
梶原「はあ……?」
山口「明治のころ、それなりの家庭には、他人の家で家事を手伝いながら学校に通う『書生』と呼ばれる若い男性がいました。彼らの役目の一つは、配達された新聞を家族のそろった食卓で読み上げること。夏目漱石の連載小説なんかは人気で、子供たちも自然に豊富な語いを吸収していき、彼らがその後の日本の発展に寄与しました。もちろん読み聞かせる側の語いを豊かにするうえでも、大きな力になるんですよ」
山口先生は、現代日本語の成り立ちに貢献した、明治時代の国語学者、上田万年の研究者だから説得力がある。物は試しで、電子版のこの記事も音読って、しないか……。漱石じゃないし。
※「梶原しげるの「しゃべりテク」」は木曜更新です。次回は2017年3月9日の予定です。
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。著書に『すべらない敬語』など。最新刊に『まずは「ドジな話」をしなさい』(サンマーク出版)がある。