不人気ブドウを爆売れさせた「たった一言」とは?
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飛ぶように売れ始めたきっかけは1枚のPOP広告
「なぜ売れないのだろう?」
彼はその理由を探すため、売り場のお客さんをずっと眺めています。そこは某地方都市のスーパーマーケット、彼は売り場の責任者。彼が自信を持って仕入れた「おいしいブドウ」の売れ行きがよくありません。売り場を見ると、何人ものお客さんがそのブドウを手にするものの、そのまま棚に戻しています。どうやらお客さんは、全く関心がないというわけでもなさそうです。
ここで彼はブドウのそばに手書きのPOP(商品小脇に添える、立て札風のミニ広告)を1枚置きました。するとブドウは突然売れ始めたそうです。
さて、彼はそのPOPに何と書いたのでしょうか? 読者の皆さんも考えてみてください。あなたならブドウを売るために何を書きますか?
ふつうなら「甘くておいしい」とか「もぎたて新鮮」などと書くのではないかと思います。 しかし彼は違いました。お客さんをよく観察した末に、こう書いたのです。
たった一言、「タネなし」と。
「損失を避けたい」という心理をビジネスに生かす
ブドウを売るにあたって「甘くておいしい」と書くか、それとも「タネなし」と書くか。読者の皆さんは、そこに大きな違いがあることにお気付きでしょうか?
「甘くておいしい」は商品のよさをアピールし顧客に訴えています。これに対し「タネなし」は顧客の困りごとを取り除いています。
メリットを訴えるのか、それともデメリットを取り除くのか。心理学的には後者のほうが2~2.5倍効果があるとされています。これを「損失回避」といいます。
人間は1万円を拾う喜びより、1万円をなくす悲しみのほうが2~2.5倍大きい。よって悲しみを避けるべく行動するというのが「損失回避」の心理。だとすればビジネスでも「メリットをアピールする」より「デメリットを回避する」メッセージのほうが効果的、よって「甘くておいしい」より「タネなし」のほうが効くというわけです。
人生にもビジネスにも正攻法と奇襲がある
この例で「甘くておいしい」は、商品アピールの域を出ていません。そこには「買ってください」という自己中心的な売り込み姿勢があります。これに対して「タネなし」の一言は、お客さんの立場に立って、その困りごとを取り除いています。
自らをアピールするのはビジネスの王道たる正攻法。対して顧客の困りごとを回避するのが、いわばビジネスの奇襲です。私はこの連載で彼のような「ビジネス奇襲」を提案したいと思います。
よいモノをつくり、その優れた点をアピールし、低価格で売るのがビジネス正攻法。対して「たった一言」の力で顧客満足を達成するのがビジネス奇襲です。
戦争に正攻法と奇襲があるように、ビジネスにも、そして人生にも正攻法と奇襲があります。私たち日本人は正攻法が大好き。主として正攻法の努力は「自らを高める」ことに向けられます。子どもであればまじめに勉強し、働く大人たちは一生懸命にビジネススキルを学びます。ビジネスの現場ではひたすら、「よいモノをより安く」提供する努力をします。
これらはすべて「自らを高める」というアプローチによる、正々堂々の正攻法的な努力です。これに対し私が新たに主張するビジネス奇襲は「相手の立場に立って考える」ということが出発点になります。
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心理学を応用した「ビジネス奇襲」を繰り出せ!
私はこれまで公認会計士・コンサルタントとして多くの会社のお手伝いをしてきました。そのなかで最も多く尋ねられたのが「よそはどうやってますか?」という質問です。
日本人は同業他社の動きをとにかく気にします。「ライバルにおくれをとりたくない」「ライバルと同じことをしないと落ち着かない」。これはもはや日本人気質といえるでしょう。
個人レベルでも「みんなと同じビジネススキル」を学ばないと不安な人が多いようで、みんなロジカルシンキングやマーケティング、英語、会計など、その時々に流行するテーマを学んでいます。
そういった「自らを高める」という正攻法的な努力は貴重ですが、人と同じことを学んでいる限り、競争から抜け出すことができません。そこで本連載では、注目している人がまだ少ない「心理学」をベースにしたビジネス奇襲を紹介していきます。
奇襲にもさまざまな戦法がありますが、本連載では正攻法的な売り込みを脱して顧客の心をつかんだ「たった一言」の奇襲事例を取り上げます。スーパーの彼は、顧客の困りごとを先回りして取り除くことによってブドウを売りました。次回以降、どんな奇襲が登場するのか、どうぞご期待ください。
自らの優秀さを語るか、相手をいい気分にさせるか
19世紀の後半、2人の男が英国首相の座を争いました。1人は大富豪の息子にして、名門大学を首席卒業した頭脳明晰のグラッドストン。1人はユダヤの血をひく移民の家系で、破産経験もある苦労人のディズレーリ。激しい選挙戦のさなか、この2人のそれぞれと食事を共にした女性がいたそうです。彼女は2人の印象を聞かれて、こう答えました。
「グラッドストンは、イギリスで一番頭のいい男性だと思います。ディズレーリは、私がイギリスで一番賢い女性だと思わせてくれました」
この興味深い発言はメディアで大々的に取り上げられ、結果、選挙に勝利したのは「女性を賢い女性と思わせた」ディズレーリでした。自らの優秀さを語ったライバルのグラッドストンに対し、相手の気持ちに寄り添う奇襲で勝利したディズレーリ。
ぜひ私たちも、ディズレーリ的な「相手の心をつかむ」奇襲を繰り出そうではありませんか!
※「奇襲で勝つビジネス心理戦」は火曜更新です。次回は2月21日の予定です。
田中公認会計士事務所所長。東京都立産業技術大学院大学客員教授。
1963年三重県出身。早稲田大学商学部卒。「笑いの取れる会計士」としてセミナー講師や執筆を行う一方、落語家・講談師とのコラボイベントも手がける。著書に「良い値決め 悪い値決め」「米軍式 人を動かすマネジメント」「実学入門 経営がみえる会計」(いずれも日本経済新聞出版社)など