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梶原しげるの「しゃべりテク」

カップルは互いをどう呼ぶのが「今の普通」なのか

2017/2/9

Fast&Slow / PIXTA

「この世界の片隅に」では「さん付け」

超・遅ればせながら映画「この世界の片隅に」を見た。新聞やテレビ、ネットで、監督や識者、観客の声を聞いて「わかった気」になっていたが、百聞は一見にしかずとはこのことだと思った。

見た帰りに迷うことなくプログラムを買った。帰宅するや、原作本をキンドルでダウンロード購入した。そういうことをさせる映画だった。

プログラムには原作者、こうの史代さんのインタビューがあり、「映画の感想」を聞かれ、こう答えている。

こうの「呉(主人公すずの嫁ぎ先)の人は『く“れ”』と語尾を上げて発音するんですが、広島(すずの故郷で市の南部・江波)の人は『“く”れ』と下げる(現在の標準アクセントもこれ)。駅のアナウンスでもそういう部分に『違う土地である』というニュアンスが出ていました(呉駅では語尾上げローカルアクセントで駅名コールをしていた!)。すずさんが最後に(地元アクセントである)『く“れ”』という言い方に変わる点にも、監督は気を配っていらっしゃって、そういうところもおもしろかったです」

お見合いのその日からいきなり嫁ぎ先で暮らし始める。乱暴な時代だった。苦労を乗り越え、すずは「いっぱしの呉の人」に成長していく。その「時の流れ」が「映画作品ならではの、音声アクセントの変化」から伝わってきたと、原作者は感心しきりなのだ。媒体特性を生かした演出を施した監督もすごいが、そこを見つけてすかさず評価する原作者もすばらしい。

「綿密な取材」で描かれた「普通の人々の穏やかな日常」がリアルであればあるほど、そこに乱入する「戦争」「原爆」の痛ましさのインパクトが強烈だ。

もうひとつ、この映画で「あの時代の空気」をありありと伝えていたのは、主人公すずの夫・周作が妻を一貫して「すずさん」と「さん付け」で呼んでいたところだ。

近年では「名前呼び捨て」が増加

周作「すずさん、傘をもってきとるかいの」

周作「あれが東洋一の軍港(呉)で生まれた世界一の軍艦じゃ。『お帰り』言うたってくれ、すずさん」

周作「すずさん、けがはないか? あーあー、泥だらけじゃの」

「すずさん」という「ファーストネーム+さん」が実に新鮮に響くのだった。あの戦争が終わって今年で72年。「ファーストネーム+さん」で呼び合う夫婦はどれだけいるのだろうか?

今では「名前呼び捨て」が珍しくないと聞く。出産後は互いの呼び名を「パパ、ママ」にする夫婦も少なくないが、「名前呼び捨て」派は増える傾向にあるという。

昨年末の「NHK紅白歌合戦」でSexy Zoneが歌ったヒット曲「よびすて」は恋人同士の「呼称」がテーマになっている。「君」とつきあい始め、最初はかしこまった他人行儀な雰囲気だった2人は「僕」が勇気をふるって「君」を「よびすて」にした瞬間、「時間が止ま」り、「世界が変わ」って、2人の親しみの度合いが劇的に深まった(全て梶原解釈)。

優れた歌詞が見事に言い当てているように、互いの距離をグッと近づけ、さらに親しい関係を築くうえで「呼び捨て」は大きな力を発揮する。

Fast&Slow / PIXTA

「呼び捨て」に潜む火種

「ファーストネーム+さん」は「丁重」「上品」「いたわり」を伝えるにふさわしいとの「前向きな評価」がある一方で「よそよそしい」「慇懃(いんぎん)無礼」とうしろ向きにとらえるむきもある。言葉が丁寧になればなるほど「親しみの感じが薄らぎ、空々しい会話になるおそれがある」と対人コミュニケーションの議論ではしばしば言われる。

知人A「安倍首相だって『私とウラジーミル(・プーチン)は』とか、『バラクと日本国は』とか、大国のリーダーの名前呼び捨てで相手の懐に飛び込もうと必死でやってる。『ドナルドとシンゾウは』というフレーズも近々聞けるんじゃない?」

いち早く相手の懐に入り、「親しさのコミュニケーション」を通じ、スピーディーな成果が求められる現代。「夫婦の呼び捨て」ばかりか、「上司と部下」「商売相手」「教師と生徒」の間でも、欧米風に「呼び捨てあう時代」がやってくるかもしれない。

そんな今を生きる我々だからこそ、すずと周作夫妻の間で交わされた「さん付け会話」から「あの時代の当たり前の日常」をしみじみ感じ取るのだろう。徹底した時代考証は、ここでも功を奏していた。

最後に「カップルで呼び捨て」の「リスク」にも一言触れておこう。「本人同士」では「親しみ」の表現でも、「親」にとっては「愉快ではない」という話を聞くことがある。

母A「2人の間でどう言おうと構いません。でもねえ、大事な息子を『はると、違うわよ(怒)』みたいに、こんな頭の悪い女にあごでこき使われているのを見るのが耐えられない! 『呼び捨てやめろっ』て叫びたかった」

父B「親の私の前で娘を軽々しく呼ぶ、ふざけた男がいました。『おい、さくら、ケータイ鳴ってるぞおー』って、お前は何様だ! ま、結婚前だったから無事に別れさせて、ホッとはしましたがねえ」

娘もホッとしたのかは聞きそびれたが、親しみを深める「呼び捨て」も場を心得ないと厄介なことに……。「この世界の片隅に」で「好演」する、すずさんの夫、周作さんから学ぶべきことは多い。

※「梶原しげるの「しゃべりテク」」は木曜更新です。次回は2017年2月16日の予定です。

梶原 しげる(かじわら・しげる)
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。著書に『すべらない敬語』など。最新刊に『まずは「ドジな話」をしなさい』(サンマーク出版)がある。

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