クリスマスチキンは日本人の証し 代用品が主役の座に
聖夜の後ろ姿がチラチラするころになると、毎年読み返す本がある。それはクリスマスをモチーフとした古い翻訳ミステリー。誰もが心優しく善人になるはずのクリスマスと、あくどい犯罪との対比が大変面白く、またノスタルジックな欧米のクリスマスの雰囲気が窺い知れるのも楽しい。
ところがこれらの本にはひとつ、気になることがあった。どうしてチキンを使ったトリックがないのか。クリスマスといえばチキンではないのか。盗んだ宝石をお腹の詰め物の中に隠しておくとか、ボンジリに塗った毒でボンジリ好きのターゲットだけを殺すとか、使い所なんかいくらでもあるだろう。
調べてみると、それもそのはず。チキンはクリスマスの必須アイテムではなかったのだ。
日本人にとっては「チキンを食べる日」と言っても過言ではないが、世界的に見ると牛肉あり、豚肉あり、魚ありと、てんでバラバラ。断食と禁欲が良いとされる地域もあれば、12種類もの皿を並べないといけない国もある。そもそもキリスト教徒以外にとっては、さしたる理由もなくただごちそうを食べる日でしかない。
だがクリスマスにごちそうを食べるのは、実は理にかなっている。元来このイベントは、誰かの誕生日ではなく、冬至のお祭りだった。日がどんどん短くなり、このまま太陽がいなくなってしまうのではないかという不安が、冬至を境に杞憂へと変わる。
そこで、太陽が戻ってきた!めでたい!というお祭りが、宗教を問わず各地で行われてきたのだ。なんと古代ローマでは7日間もの間、飲んで食べて贈り物をしあう無礼講だったというから、現代のクリスマスセールの喧騒と大して変わらない。
では日本のクリスマスチキンは、どこからやってきたのか。
ルーツはアメリカの感謝祭にあった。新大陸へ渡ったピルグリムファーザーズが次の年の秋、ネイティブアメリカンを招いた宴に由来するとされるサンクスギビングは、ターキーが主役。宗教も肌の色も多様な、アメリカをあげてのターキーデーだ。
このターキーの丸焼き文化が日本に輸入されたものの、時に10キロを超す大きなターキーを焼けるオーブンがある家などそうはない。七面鳥は鶏へと変更を余儀なくされた。
さらに1974年に始まったケンタッキーフライドチキンのクリスマスキャンペーンが大ヒット。丸焼きでもフライドチキンでも唐揚げでもなんでもありの、日本独自のクリスマスチキン文化が根付いたのだ。
さあ、クリスマスが今年もやってくる。チキンがあってもなくても。ひとりでも大勢でも。どうぞよきクリスマスを。
(食ライター じろまるいずみ)
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