心に染みる平和の尊さ
海上保安庁長官 中島敏氏
海上保安庁に入ったばかりのときでした。日本近海で外国船が遭難し、救助される事件があったんです。
なかじま・さとし 1956年福井県生まれ。海上保安大学校卒、海上保安庁へ。海上保安監を経て6月、前任に続き史上2人目の現場生え抜きの長官に就く。
上司から「おまえは大学出なんだから、英語ぐらい話せるだろ」といわれ、その船の調査に行きました。ところが、英語がまったく通じない。悔しかったですね。そこで英語を勉強しようと思い、上司に内緒で青年海外協力隊に応募し、合格したんです。休職が認められ、2年間、バングラデシュに行き、航海術の教育を受け持ちました。
自由になる時間があったので、宿舎の本棚にあった日本語の本を読みあさりました。そのとき出合ったのが、五味川純平さんの『戦争と人間』です。ノモンハン事件や敗戦など、戦争に翻弄される人々の姿を描いた大河小説です。
ちょうどそのころ、バングラデシュの地元紙1面に日本の記事が載りました。「日本では、東京が10分間、停電しただけで全国紙1面のニュースになる」。こんな内容です。社会が安定せず、電気や水が不便な同国からすれば、停電など当たり前なわけです。そんな遠い異国の地だからこそ、よけいに『戦争と人間』は心に染みたのでしょう。平和のありがたみをかみしめました。当時は意識しませんでしたが、平和を守るんだという私の志に、この本はどこかでつながっているように思います。
妻が大の読書好きなこともあって、私も20代後半から色々な本を手にしてきました。平日はほとんど時間がないので、読むのは週末です。もっとも、(東シナ海情勢が緊張している)ここ数カ月は、土日もその時間がありませんが……。やはり、勤務地や職務の内容によっても、愛読書は変わってきますね。
根室に赴任したとき、印象深かったのが、司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』です。司馬作品では『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』も読みましたが、私はこれが一番好きです。主人公は江戸後期、船乗りから身を起こした高田屋嘉兵衛。回船業者でありながら、日ロの橋渡し役を務め、政治紛争の解決にも貢献した人物です。人のために、何かを尽くしたい。そんな彼の生き方は魅力的だし、本当にすごい人物だと思います。
根室から戻った3年後に命じられたのが、初代の警備情報課長でした。いわば、インテリジェンスを担当する部署です。海上保安庁としても情報機関の一角を担おうというわけですが、当時は、インテリジェンスの専門的なことなど、何もわかりません。そのとき、目から鱗(うろこ)だったのが、大森義夫さんの『日本のインテリジェンス機関』です。
海上保安庁は他の政府機関ほどには情報活動の予算も要員もいません。それでも現場に密着していると、色々な情報が入ってくる。漁業関係者から貴重な話を聞くこともあれば、外国船への立ち入り検査からも、報道にはない情報を得ることがあります。インテリジェンス活動は何か特別なことではなく、日々の地道な活動が大事だ。そう教えてくれた一冊でした。
私は昔から、人間は1.1倍をめざして生きればいい、と思ってきました。1倍では成長しない。かといって2倍、3倍は大変だし、無理しても長続きしない。組織にも同じことがいえます。長く存続し、成長していくには1.1倍ずつ、伸ばしていくことが大事です。
もともと、そう思っていたところに見つけたのが、城山三郎さんの『少しだけ、無理をして生きる』です。自分がずっと思っていたことが、書名になっていたので驚きました。私にとって、座右の書のひとつになりました。
どんな職種でもそうでしょうが、仕事では頑張っても、思った通りにいかないこともあります。だからかもしれませんが、いつもハッピーエンドで終わる、勧善懲悪風の小説も好きです。読み終わったときにほっとするし、気持ちが休まる。なかでも一番好きなのが、池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』ですね。