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ずっと「心に引っかかっていたこと」

四半世紀以上、ずっと「心に引っかかっていたこと」がある。「あの、北海道のご一家は、いまどんなふうにお過ごしだろうか……」

1989年夏。大ブレーク中の俳優、渡辺謙さんが白血病のため超大作映画の主役降板というニュースが大きく報じられた。

治療の決め手は「骨髄移植」だというが具体的にはどういうものか。当時私が司会を務めていたラジオ番組で、実際に移植を体験された方にお話を伺おうとスタッフ総掛かりで新聞の縮刷版をひっくり返し、ようやく探し当てたのが北海道にお住まいのAさんご一家だった(ネット検索はまだ一般的ではなかった)。突然の、失礼千万な電話にもかかわらず、お母様は快く番組出演を引き受けてくださった。

お母様:「2歳の娘が白血病と診断されまして、助かる道は骨髄移植しかない。まずは適合する骨髄をと、真っ先に私たち夫婦を調べましたが適合せず。親戚縁者からも適合者は出ません。知人や、その他多くの方が協力の手をさしのべてくださいましたが、結局適合者は見つかりませんでした……。そうする間にも娘の容態はどんどん厳しくなっていきました」

この頃お母様は二人目のお子さんをお腹に宿していた。程なく元気いっぱいの男の子誕生となったが、一家で手放しに喜べる状況では全くなかったという。

弟さんは日を追うごとに成長を遂げていく。その一方でお姉ちゃんには死の影が迫ってくる。育児と看病に忙殺される日々。何とも言えない複雑な思いで過ごしていたお母様がある日「ひょっとして……」と弟くんの骨髄を調べてもらうことにしたのだそうだ。

すると何と、弟の白血球はぴたりお姉ちゃんの型と適合するではないか! 医師たちの地域を越えた連携プレーでもたらされた最先端医療技術も功を奏し、手術は大成功! お姉ちゃんは奇跡的に助かったのだ!

(写真:PIXTA)

(写真:PIXTA)

お姉ちゃんの命を救うために神様が我が家に……

ラジオの梶原:「お姉ちゃん、その後いかがですか?」

お母様:「おかげさまで、今では嘘みたいにすっかり元気になってくれまして、時には命の恩人である弟のおもちゃを、エイッと横取りするほどに元気です」

梶原:「弟さんは?」

お母様:「この子は相変わらず、無邪気におもちゃにかじりついたり、手足ばたつかせたり、にぎやかですよ(笑)」

梶原:「良かったですねえ」

と、ここでお母様がしみじみおっしゃったひと言が胸を打った。

お母様:「この子は、お姉ちゃんの命を救うために神様が我が家に送り届けてくださったんじゃないかと思うんですよね……」

ぽつりとこぼれたこの言葉から、ちっちゃな体で、きつい手術にけなげに耐えた幼い弟の姿が、そして幼い子どもたちの生と死の間で奔走し、決断したご両親のお気持ちが目に浮かび、私は込み上がる涙をこらえることができなくなった。コメンテーターで、普段は能天気なことばかり言う競馬評論家の井崎脩五郎さんも、メガネを外し涙を拭くばかり。

ラジオの場合、無音状態が10秒以上続くと「放送事故扱い」となるところ、その寸前で、お母様が優しく声をかけてくださったのが救いとなった……。

お母様:「あのー、地元北海道の方だけでなく、東京の方たちにもお世話になったんです。皆さまにこういうお礼を申し上げる機会を与えていただきありがとうございました。こちら(北海道)にお越しの際は、ぜひ子どもたちの顔でも見に来てやってください」

梶原:「ええ、ぜひ、そうさせてください! 楽しみにしてまーす! 今日はいきなり電話して申し訳ありませんでした。じゃまたその時に!」

27年後、対面の機会がやって来た!

……と、あれから27年。北国から雪の便りが聞こえる季節になると、ふとここ数年、無性に「どうしていらっしゃるかなあ……」と気になってきた。寄る年波のせいか、人の命の切なさはかなさ、そして何より「尊さ」が身にしみる。あの時、娘の命を守るため、奔走した母、姉のため大仕事を見事にやり遂げた幼い弟は今どうしているのだろうか?

当時のAさんに電話をつないだと思われる元番組担当者に問い合わせたり、局の記録を見たり、新聞記事のネット検索をかけてもその消息を知る手がかりはまるで無かった。ところが、経緯は省くが思わぬことで「ご一家との対面がかなうかもしれない」というのだ!

それはテレビの番組でのことだった。「相手の都合を無視して、無理やり出演させることなど決してしない」。番組担当者は何度も繰り返しそのことを言い、私もそのことを何度も確認した。とはいえ、ラジオの時と同じく「いきなりテレビに引っ張り出す」ようなことで良いのか? 本番が近づくにつれ、後悔する気持ちが募ってきた。

そして、どんな顔してお目にかかれば良いのか……私の緊張もマックスになっていく。もし対面がかなえば、Aさんにはもっとプレッシャーがかかる……。

いよいよ、その日がやって来た。考えてみたら、お子さんたちとはもとより、お母様とも電話で短く話しただけだから、万一会えるとすれば(番組で会える確率は5割前後らしい)、それが初対面ということになる。なのに私の頭の中には、四半世紀をかけてお母様の"イメージ"がすっかり出来上がっていた。それはどんな困難にも「ガハハ」と笑い飛ばして前に進む「肝っ玉母さん」。いざとなればものすごく頼りがいのあるパワフルなお母さん。

そして、ドアが開けられた……。「会えるのか? 会えないのか!?」

めでたく、ご対面……

会えた!

梶原:「うわー! ど、どうも、すいません、こんな所まで……遠かったでしょう? ごめんなさい!」

これが私の間抜けな第一声だった。しかし、ここでそれまでの尋常ならざる私の緊張がいっきに解けた。スタジオに現れたお母様が、ほぼイメージ通りの方だったからかもしれない。親しく長くお付き合いしていた懐かしい人に、久しぶりにあった感じだ。テレビカメラが今何をどう撮っているのか? この日は一切そんなことは飛んでいた。

ごきょうだいはといえば、お姉さんは、命の恩人のおもちゃを横取りするほどやんちゃなイメージとは違って、麗しき上品なアイドルタイプで驚いた。今は看護師さんという「命を大事にするお仕事」に就いているとのこと。「お姉ちゃんの命を救うという大仕事」をした弟さんは、そんな気負いもなく(その頃は赤ちゃんだったし……)都会的なイケメンに成長していた。

番組収録が終了後、はるばる皆さんでお越しいただいたお礼と、おわびを申し上げた。

Aさん:「実は最初、局の人から連絡いただいたときは、怪しいなと思ったのよ。番組のことを説明してくださったんだけど、司会が誰々で、ゲストは誰々。みんな有名人ばっかり。これって『芸能人に、会わせてやるやる詐欺』じゃないかって。でも実際来てみたら、いろんな方に会えて楽しかったわ」

お母様は仕事があり東京は1泊でお帰りになり、お子さんたちは姉弟仲良く、ちょっぴり観光に時間を割けたらしい。

その後東京・北海道間で、メールやお手紙、お電話で、直接お話しできることとなった。北の大地からとびっきりのジャガイモまで送っていただいた。恐縮だ……。

四半世紀にわたる「引っかかり」が解けた2016年はなかなかいい年だった、って、まだ今年は終わっていないか……。

[2016年12月1日公開のBizCOLLEGEの記事を再構成]
梶原しげるの「しゃべりテク」」は木曜更新です。次回は12月15日の予定です。
梶原 しげる(かじわら・しげる)
1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーになる。92年からフリーになり、司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員を担当。
著書に『すべらない敬語』『そんな言い方ないだろう』『会話のきっかけ』 『ひっかかる日本語』(新潮新書)『敬語力の基本』『最初の30秒で相手の心をつかむ雑談術』(日本実業出版社)『毒舌の会話術』 (幻冬舎新書) 『プロのしゃべりのテクニック(DVDつき)』 (日経BPムック) 『あぁ、残念な話し方』(青春新書インテリジェンス) 『新米上司の言葉かけ』(技術評論社)ほか多数。最新刊に『まずは「ドジな話」をしなさい』(サンマーク出版)がある。

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