ホタテ、煮ても焼いても刺身でも 聖なる縁起物・海扇
生まれて初めての海外旅行は、香港だった。メニューがうまく読めなくても、そこは同じ漢字の国。なんとなく意味がわかれば、値段だけ確認し、当てずっぽうで指差し注文できる。大きく外したとしても、あとで笑い話になれば儲けものだ。
なので、ホテルの近くの海鮮料理店で「海扇」と書かれたメニューを見たときも、躊躇はなかった。どんなものかはわからないが、とんでもない料理が出てきた方がワクワクするではないか。
よし、本場の中華いただきます。香港ならではの食材カモン!...とニヤついていた私の前に出てきたものは、日本の炉端焼きでおなじみ・ホタテバターであった。
言われてみればその通り。海にいる扇といえば、確かにホタテだろう。
この店では他にも当てずっぽうで頼んだ物が、イカ焼きだったり厚揚げだったりと、ことごとく炉端テイストで、まったく香港気分は満喫できなかったのだが、それはまた別のおはなし。ともかく私の心には「ホタテの中国語は海扇」が、しっかりと刻まれたのだ。
中国ではホタテの貝柱を「楊妃舌」とも呼ぶらしい。字面からおわかりのように、楊貴妃が大好きなホタテを前に舌なめずりしたとか、高価なことを楊貴妃の高貴さにたとえた等の逸話からきているが、これは「それほど昔から愛されてきた」という意味だろう。
ホタテや、その仲間であるイタヤガイ、ヒオウギガイの貝殻は貝塚からも多く見つかっている。このおいしい二枚貝は、早くから人類を魅了してきたのだ。
ホタテを愛したのは人間だけではない。美の女神ヴィーナスがホタテに乗った絵画を、一度は見たことがあるだろう。ヴィーナスとホタテは非常に人気のあるモチーフで、様々な作品が存在する。
またキリスト12使徒のひとり、ヤコブもホタテがシンボル。聖地巡礼の際にはホタテの貝殻や、ホタテ型の装身具などを身につける決まりがある。そこからチャーチル家など貴族の紋章にも使われるようになり、ホタテそのものが神聖で高貴なイメージへとなっていった。
日本ではどうか。「帆を立てる」から、順風満帆を思わせること。また祝言の謡曲「高砂や~この浦舟に帆をあげて」から、夫婦和合と長寿の象徴とされ、さらに殻の模様が末広がりであることなどから、縁起物と考えられてきた。
刺身や寿司種として生でおいしいホタテは、煮ても焼いても揚げてもうまい。干し貝柱の滋味も無類のものだ。おいしいだけでなく神聖で高貴、縁起物となれば…食べない手はない。
(食ライター じろまるいずみ)
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