開店は11月28日土曜日だった。
フリース一色の大キャンペーンの展開です。原宿駅もフリースのポスターだらけ。開店当日に柳井さんと早朝便で東京に向かう途中、「広告にお金の使いすぎだ」と怒られたのを覚えています。
原宿駅を降りて、店に向かうときはドキドキです。「柳井さん、売れてなかったらすみません」と話し、明治神宮前の交差点方面へ足早に歩いていくと、交差点のロッテリアの前に多くの人がいて、柳井さんがこう話しかけてきたのです。「沢田君、行列だ」。行列の先が原宿店です。
そして柳井さんが発した言葉はこうでした。「品切れしてはいけないから、関東にある在庫を原宿店にかき集めろ。周辺店舗の販売員もこの店に来てもらえ」。こっちは褒めてもらえるものだと思っていました。経営者というのはこういうものなんだと感心したね。先々のことを意識しながら経営するその姿勢は大変、参考になりました。
この会社に入って1年半がたち、自分なりに突っ走ってきました。柳井さんの発言にカチンとくることもありましたが、ほとんどは理にかなった指摘ばかりでした。
原宿店が大繁盛となったあと、もうひとつ重要な仕事があった。
原宿店近くの飲食店で柳井さんにある人物を紹介することになっていました。伊藤忠商事時代のビジネスパートナーだった玉塚元一君です。彼は旭硝子から日本IBMに転職していました。「いいやつですから」と柳井さんに話すと即、入社が決定。ファストリの急成長の始まりです。
[日経産業新聞2014年3月3日付]