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1996年を伊藤忠商事の「リーテイル事業元年」と位置付け小売業参入を試みた。

なぜ、日本にまだ進出していない小売業を海外から呼び込もうとしたのかというと、伊藤忠の取引先との軋轢(あつれき)を避けるためでした。

トイザらス荒川沖店の開店イベント(1991年12月)

トイザらス荒川沖店の開店イベント(1991年12月)

一緒にやるならカテゴリーキラーと呼ばれる形態の小売業がいいと考えていました。分野を絞り込んだうえで大きな店舗で品ぞろえを豊富にしてたくさんの顧客を呼び込むのです。当時、日本で大成功していたトイザらスのように、必ず受け入れられるという確信がありました。

社内には「伊藤忠が小売業を手掛けるのは無理」といった声があったのは事実です。理由は「経験がないから」というものでした。それでも三菱商事はケンタッキー・フライド・チキンを手掛け、住友商事も食品スーパーのサミットを立派に運営しています。伊藤忠だってやれないはずはありません。

優秀なメンバーをそろえ、新規事業の立ち上げを企画するが、思うように進まなかった。

「小売業という新しい分野に骨をうずめてもかまわない」という頼もしい部下たちと米国の有力小売業の中から合弁相手を探しました。オフィス・サプライやオフィス家具チェーン、ペット専門店チェーンなどをリストアップしました。

ところが、なぜか「これからやるぞ!」と意気があがるころになると、会社の上層部からいい返事をもらえなくなるのです。「この案件は時期尚早ではないか」と。

こっちは「何とか決断してもらいたい」と頭を下げるのですが埒(らち)があきません。仕方なく室伏稔社長(当時)に直訴したこともあります。

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