「44歳まで現役」を支えた食生活とは? 元プロ野球選手・小宮山悟さん食の履歴書

「投げる精密機械」と呼ばれ、日米で活躍した元プロ野球投手の小宮山悟。2浪して早稲田大に入学、エースとして活躍したロッテからの戦力外通告、メジャー挑戦後の浪人生活――。曲折をたどった野球人生で、44歳まで現役を続けられたのは「食事というより、車がガソリンを補給するような感覚」と割り切った食生活で、体調管理に努めた成果でもあった。

子どものころは、揚げもちをおやつに牛乳を毎日1リットルは飲んだ。「おかげで骨が頑丈になったかも」=写真 塩山賢 (こみやま・さとる)1965年千葉県生まれ。90年ロッテ入団、エースとして活躍。横浜、米大リーグ移籍を経て、2009年ロッテで現役引退。数学の教員免許も持つ。3月に初の著書「成功をつかむ24時間の使い方」(ぴあ)を出版。

「週に1度の登板に備え、どのタイミングでどんなものを食べるか。すべて逆算して決まっていた」

先発投手としてマウンドに立つ当日は朝からご飯やパスタなど、1試合を投げ抜くエネルギー源になる炭水化物とエネルギー効率を高めるビタミンBの栄養補助剤のみ。前日も炭水化物を多めにとる。

週に1度は徹底的に体を鍛える日があり、その日は朝から炭水化物はとらず、激しいウエートトレーニング。その後に多めの炭水化物をとってエネルギー源であるグリコーゲン(糖質)をため込んだ。

シーズン中はこの繰り返し。ストレスがたまりそうだが「食べ物へのこだわりはほとんどない」と話す小宮山の表情に苦にした形跡は皆無。「食べたい物を食べようという感覚になるのは登板後の夕食だけ。チームを陰で支えてくれるスタッフとわいわい焼き肉に行くことが多かった」。そんな時でも「疲労回復を考えてたんぱく質をとる」という計算もあったようだ。

アルコールとも縁がない。大学1年の冬にB型肝炎を患ったのをきっかけに、現在に至るまで一貫して酒は飲まない。「体の微妙な変化や痛みに対する感覚が鈍くなるのが嫌だった」からとは技巧派ならでは。

小宮山はドラフト1位で1990年にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団。1年目から先発マウンドを任されたが、体調管理には無頓着だった。食事の内容、時間、量はその時々の気分次第。「『体が資本。たくさん食え』という教育を受けてきたから、体が疲れているのに詰め込んで急性腸炎でダウンしたこともあった」

転機は94年のシーズン終了後。米大リーグで監督経験のあるボビー・バレンタインがロッテの監督に就任したのだ。この年、小宮山は右ひじの故障に苦しんだ。「何かを変える必要がある」と考えていた中で出合った、球数を制限して肩を守るメジャー流の調整法。食事のタイミングや栄養バランスへの意識も自然と身に付いていった。

この調整法が奏功。95年は25試合に登板して、11勝4敗の好成績を残す。その後もロッテのエースとして活躍するが、99年のオフに「チームの若返り」を理由に戦力外通告を受ける。横浜を経て、02年にはバレンタインが監督だったニューヨークメッツに移籍。念願のメジャー挑戦を果たす。

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