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仕事で人とぶつかることが多かった若いころ、恩師から渡された一冊の本がある。

社会人になってよくあることですが、人間関係で悩みました。おとなしくしていればよいのに、やりすぎて「あいつは生意気だ」と言われる。そんな見方をする人が上司だと、いっそ辞めてしまおうかと思います。

そんな悩みを一橋大学の恩師である村松祐次先生に打ち明けました。しょっちゅう遊びに行っていたお宅で、「どうしたらいいでしょうか」と尋ねたのです。じっと聞いていた先生は「君、寝ずに考えたのかい」と、ずばり一言です。

さわだ・ひろし 1931年生まれ。一橋大経済学部卒、53年日本製粉入社。早くから頭角を現し36歳で課長に抜擢され、93年社長に昇格。2002年から会長。

さわだ・ひろし 1931年生まれ。一橋大経済学部卒、53年日本製粉入社。早くから頭角を現し36歳で課長に抜擢され、93年社長に昇格。2002年から会長。

安易に先生に答(こたえ)を求める甘い姿勢を見抜かれたのです。帰り際、「これを読んでごらん」と、書棚から森鴎外全集の一冊を抜いて渡されました。「智恵袋」や「心頭語」「慧語」が入っている第18巻です。

「人の短を言うことなかれ」(「智恵袋」)など、人とうまく付き合うための処世訓です。あの鴎外でさえ、似た悩みがあったと知りました。先生は、そんなことはよくあることだよと諭したかったのでしょう。

その後、借りたままで気になっていましたが、この本を支えに生きていたので返せません。ところが偶然、古書店で同じ一冊を見つけて、その本を返しました。先生の思い出の本は私の書棚にあります。

 いろんな知恵が詰まった『論語』がいつも身近にある。

私が会社でそれなりの役職に就いた時でした。やはり大学の恩師である高橋泰蔵先生に挨拶にうかがって、色紙をいただきました。「先難而後獲」と書いてあります。

『論語』にある孔子の言葉で、難事を先にして自分の利益は後回しにする。仁者はそうでなければいけないという意味です。村松先生の「寝ずに考えたか」の一言と、この言葉が何かにつけて私の指針になっています。『論語』も手放せません。

もう一人恩師に、石田龍次郎先生がいます。戦後、『人文地理(新版)』という横組みの斬新な教科書に感銘しました。一橋に入学して早速、その執筆者の石田先生の前期ゼミに入りました。

一時は地理学者になってもいいかなと思ったほどです。しかし当時、学会で胸を張ってやっていくには、特定の大学の出身者でなくては駄目だと知ってやめました。

でも家には地図がたくさんあります。好きなので、つい買ってしまう。地図は見ていて飽きません。石田先生の『地理学の社会化 続・地理学円卓会談』は大切にしています。

 戦争の苦い体験が、昭和史に深い関心を向けさせる

私が生まれた昭和6年(1931年)に満州事変が起きて、14歳の時に敗戦です。なぜあんなバカな戦争をして大負けに負けたのか。昭和史を誰がどう作ったのか知りたくて、いろいろ読んでいます。

『高松宮日記』はその一つです。天皇ご一家の中にも、これは常識的に日本の進路として間違っているのではないかと見る動きがあったようですが、軍国主義体制には無力でした。半藤一利さんの『昭和史』や終戦の経緯を扱う『日本のいちばん長い夏』は、いわば私の昭和史と重なります。半藤さんは私より1歳上で同じ時代をともに生きた世代です。

阿川弘之さんが書いた『井上成美』は、海軍兵学校の校長の時、英語の授業を重視した人で、軍人ですが反戦派でした。私は中学2年の時に海軍兵学校の予科に行かないかと先生に勧められました。

もしも短期現役の主計大尉だった長兄の「少し待て」がなければ、軍国少年だった私は行っていたかもしれません。次兄は海軍予備学生14期の航空少尉でしたが、軍服や短剣が長兄のものと比べてお粗末になり、短剣は切れないものでした。

私は勤労動員で、勉強をほとんどしていません。結局、8月2日の八王子の空襲で家は焼かれ、次兄は10日にフィリピンで戦死しました。どういう最期だったのか知る人もなく、遺骨もありません。

長兄は次兄に、海軍ならば丸ごと沈没する軍艦より航空隊の方がよいと勧めたので、自分が弟を死なせたと悔やんでいたようです。指導者たちがもっと早く終戦を決断していれば、次兄は死なずに済みましたし多くの人々の命が救われたはずです。

なぜできなかったのか。一国の運命も人の運命も簡単に変えられてしまうのだなとつくづく思います。

(聞き手は森一夫)
【私の読書遍歴】
《座右の書》
『鴎外全集 著作篇 第十八巻』(森林太郎著、岩波書店)
《その他愛読書など》
(1)『中国経済の社会態制』(村松祐次著、東洋経済新報社)。
国共内戦終結前夜、中国経済近代化の特質を構造的に分析した村松教授最初の著作。
(2)『論語』(金谷治訳注、岩波文庫)
(3)『地理学の社会化 続・地理学円卓会談』(石田龍次郎著、古今書院)
(4)『高松宮日記』(全八巻、高松宮宣仁親王著、中央公論新社)
(5)『昭和史 1926―1945』(半藤一利著、平凡社)
(6)『昭和史 戦後篇 1945―1989』(同上)
(7)『日本のいちばん長い夏』(半藤一利編、文春新書)
(8)『井上成美』(阿川弘之著、新潮文庫)
(9)『プリンシプルのない日本』(白洲次郎著、新潮文庫)
(10)『蝦夷と江戸 ケプロン日誌』(ホーレス・ケプロン著、西島照男訳、北海道新聞社)。
ケプロンは米国から招かれた北海道開拓使顧問。日本製粉のルーツにつながる。
(11)『わが町』(山口瞳著、新潮社)。
東京・国立をつづる随筆。
[日本経済新聞朝刊2016年5月1日付]
「リーダーの本棚」は原則隔週土曜日に掲載します。

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