都心のど真ん中、ガード下でやかん酒 東京洞窟探検
おでん再論(番外編)
せんだって盛岡に行ってきた。新聞の仕事で目いっぱいだったうえ、12月の下旬というのに雨が降って街歩きには不向きの天候だった。
わずかに空いた時間はホテルで本を読んで過ごし、夜遅くになって晩飯に出た。覚えておられる方はあまりいらっしゃらないだろうが、前回盛岡へ行った折に撮った写真を紹介した中に「とっくり」の形をした電飾看板の店があった。そこに入ってみた。「じゃじゃ麺」の元祖、「白龍(ぱいろん)」の向かいにある。
デスクいきなり乱入 覚えてますよ。インパクトありましたから。
そこはそば屋だが酒の肴も充実している。壁にならんだ手書きのメニューを見ていたら「はったぎ」とあるので店の人に尋ねるとイナゴの佃煮である。
聞けば盛岡周辺では昔からイナゴを食べていたとのこと。昆虫食だとすぐ信州を思い出すけれど、盛岡もまたそんな地域のひとつだったのだろうか。
食虫文化については最近、梅谷献二著『虫を食べる文化誌』(創森社)が出た。
同書によるとタイ北部からラオス、ミャンマー、中国・雲南省を結ぶところが「食虫トライアングル」を形成している。米国でも一定周期で大量発生する「周期ゼミ」の時期になると、セミをチョコでコーティングした食べ物を出すホテルもあるとか。
で、そのセミじゃなかったイナゴはパスして私はもりそばを食べた。もちろん手打ちである。香りが立ったいいそばだった。500円。そばをたぐりながら、地酒の冷やをぐびっとやってまたそばをずるずる。こういう冬の一人酒は悪くない。
老眼に気づいたのは40代半ば。取材先の名刺を見ながら原稿を書いたのだが、名前が間違っていた。私には「水田さん」と読めたのに本当は「木田さん」だった。かすんで水と木の区別がつかなかったのだった。「いかん」というので慌てて読書用眼鏡を買って、それからこうした事故はなくなった。でも、最近またまたお目目の機能が落ちてきたようである。まんもすかなぴー。
デスク愕然 私は裸眼です。出版局時代の会社情報のこまい文字の校正やネットのモニターにかじりついて作業する仕事にもかかわらず、いまだにメガネ不要です。それでも、誤字・脱字を見逃してしまうんです。うぅ……。だからエミー隊員、誤字・脱字オンパレードの原稿は書かないでね。
エミー隊員 私は最近そんなにやらかしてませんよ~。私は眼鏡派でかけていないとほとんど見えません。にもかかわらず、今朝かけるのを忘れて出かけ、あわてて引き返しました。こういうとこがダメなのかしら……。
……。
ところで、みんみん(♂)さんからこんな写真が届いた。
「ハムエグ定食」である。
「イワフシライ定食」である。
私はこのようなメニュー看板が好きである。中でも「イワフシライ」には愛にも似た感情を禁じ得ない。
みんみんさんは「生やさい定食」に深甚なる興味を抱き、ついに実食に打って出たのである。その物件の写真を掲げる。生野菜サラダ、味噌汁、漬物、海苔、冷や奴、おからの煮物。
その内容は小社社員食堂の「ヘルシー定食」を軽く凌駕している。病院の栄養士さんたちも目を見張るであろう。
内林政夫著『西洋たべもの語源辞典』で「サラダ」を引くと、「伝統的な料理コースの順では、野菜サラダは主料理のあとに出されて、口の中の肉、魚の油濃さをさっぱりさせる効用があるとされてきた」とあるが、この定食には肉も魚もない。
ここでデスク乱入 サラダ大好き! 生野菜大好き! 僕の昼ごはんはほとんど生野菜です。会社の近くに生野菜バーがあって、テイクアウトの山盛り生野菜がお気に入りです。
そんなことはどうでもいいのである。ひたすらヘルシーさ、カロリーの低さを追求しているのである。葉物野菜高騰の折から、もうけの少ない、ひょっとしたら赤字覚悟のメニューなのかもしれない。
みんみんさんの感想は「おかずがない定食という感じでした。でもおいしかった」というものであった。「おいしかった」という最後のフォローが感動的ではないか。
めでたしめでたし。
三林京子隊長率いる「都心部洞窟探検隊」が出動した。有楽町から新橋にかけてJR各線が走る線路の下に知る人ぞ知る通路が穿たれている。さながら都会の洞窟である。そこにはかつて様々な店が並び繁盛していた。最近はめっきり減ってしまったが、それでも何軒かは生き残り現在も営業しているのである。そこを訪れ、よさそうな店があったら洞窟宴会を開こうという趣向である。
デスクはカメラマン兼幹事役で同行した。
ほんの小人数で決行する予定が、噂を聞いた人々が次々に参加を表明し、最終的には大阪からの人も加わって一大探検隊が結成されたのだった。
どういうことになったのであろうか。そのとき探検隊の詳細をデスクが紹介する。
デスクリポート
入社してからの8年を内幸町の日比谷シティで過ごした私にとって、この界隈は「夜のふるさと」とでも言いましょうか、思い出深い街並みです。
さて、有楽町のガード下くらい知っとるわい! という皆さんも多いかと思います。なぜ今回改めて「探検」したかというと、一杯飲み屋がひしめくその先に、まさに絶滅寸前といった感じの薄暗い洞窟があるのです。三林隊長が、それどこ? 行きたい! とおっしゃられたので今回、ご案内した次第です。
この洞窟は東京電力裏の新幸橋から帝国ホテル裏の山下橋まで、JRのガード下をコリドー街と並行して走っています。どちら側から見ても搬入口のようで一般の人は入るのをためらうような景色になっています。この日は新幸橋側から進入です。
入口はラーメン店とハイヤー駐車場の間です。一見、ハイヤー駐車場への「従業員通路」のように見えます。左右に黒塗りの高級車を眺めながら昼なお暗い路地を進むと、そこには「昭和」の風景が広がります。新聞配達の協同組合、電車や駅に広告を出す会社、町内会などの事務所が、歴史を感じさせる扉、看板で並んでいます。そんな事務所の間にぽつぽつと飲食店もあるのです。
内幸町時代に通った中華の店はすでになく、跡地はビニールシートで覆われていました。ギョウザ美味しかったのに……。残ったお店はいずれもお天道様の下では溶けてしまうのではないか、と思わせるような風情を醸し出しています。なぜか店名がカタカナの日本そば屋、寿司屋、中華料理屋、韓国料理屋などが並びます。
大阪から参加してくださった栗猫さんが大家はJR東海であることを発見。そうです、この路地はJR東日本つまりは在来線のガードと東海道新幹線のガードの間を走っているのです。もしかしたら新幹線ができる前は明るい陽光がさんさんと降り注ぐ路地だったのでしょうか。
お店のない壁面には不思議なショーウインドーがあります。いったいこれは売り物なのか? 誰が買うのか? 想像がつきません。さらには、狭い路地には軽トラックの路上駐車も見られます。ミニパトに追われて地下に逃げ込んできたのでしょうか。何かニューヨーク地下鉄の廃線跡のような雰囲気が漂います。
そして山下橋の出口付近には外国人向けの免税店が軒を並べます。切手や腕時計、扇子、和紙で作ったみやげものなどが狭い路地にひしめき合うように売られています。空港免税店の華やかな雰囲気とは対照的な「アジア」の空気を感じます。
この日は食事する店を決めていなかったので、山下橋から先はシャンテとガードの間にある通りを歩きましたが、実はその反対側、泰明小学校裏にも路地があります。しかしここから先は繁華街が近いこともあり、薄暗さこそ今までと一緒ですが、居並ぶ店舗にはどこかにぎわいがあります。まるで地下要塞のように、ガード下の壁面にお店への入口が並んでいるのです。この道は数寄屋橋のニュートーキョー脇までつながっています。この路地を抜けたあたりには長椅子・テーブルを並べた「ザ・ガード下」な店がひしめきます。
この日はミルフォードさんが電話で「ミルクワンタン」ののれんで知られる「鳥藤」に席をキープしてくれたので、そのまま晴海通りを越えて、有楽町駅から鍛冶橋通りにかけての「昭和」も体験できました。東京国際フォーラムと有楽町インフォスに挟まれたガード下はやはり太陽の光が入り込むことを許さないような不思議な空間です。とはいえ、こちらにも独特のにぎわいがあります。
その後「ミルクワンタン」で「おつかれさま」。
さらに、野瀬と合流。最後は、やはりガード下のカントリー・バーへと流れていきました。
僕のリポートはこれまで。うーん、飲んだ食った、余は満足じゃ――。
東京に住んでいない人にはどこがどこやらわからないようなディープな地名や建物ばかりが出てくる。それくらいムズカシイところを探検したのである。私は「法曹界の4様」と呼ばれる弁護士と、身元を明かすわけにはいかないあるソシキに属する女性と3人でメシを食った後に、みんなで合流した。何をしゃべったのか酔っ払っていたので覚えていない。覚えているのは終電に間に合わなかったことだけである。
デスクびっくり 確かによく飲んでましたよね。でも僕は日比谷まで栗猫さんを送っていって、それでも地下鉄で帰れましたよ。どうやって帰ったの?
(特別編集委員 野瀬泰申)
[本稿は2000年11月から2010年3月まで掲載した「食べ物 新日本奇行」を基にしています]
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