秋の味、サンマ「下品な魚」を人気者にした意外な契機
そろそろ秋の話をしよう。
秋、といえばサンマである。
「今年は豊漁かどうか」がこれほど話題になる魚は、そうはあるまい。まだスイカ気分真っただ中の7月からそろそろと限定漁を始め、全面的に解禁となる8月には「それっ」とばかりに一斉に北へ向かうサンマ船。船の多くはサンマの南下とともに移動し、北海道から順に各地の港へサンマを水揚げしながら帰途につく。
じゅうじゅう、ぷちぷちと音を立てる焼きたてのサンマに、スダチやカボスなどの酢みかんをぎゅうと絞り、口へ運ぶ。
したたる脂を洗うのは、冷たい大根おろし。
「これぞニッポンの秋!」と叫びたくなるような光景だが、実はサンマが日本中どこでも歓迎されるようになったのは、比較的最近のことだ。
第一に、あの脂である。そもそも日本料理は淡味を良しとして発達していったもの。タイやヒラメといった白身の魚が好まれ、したたる脂を持つサンマなどは「下品」だったのだ。江戸時代の百科事典・和漢三才図会(1712年発行)49巻にも「魚中の下品である」と、不名誉な紹介のされ方をしている。
また、獲れすぎてありがたみのない魚とも見られていた。現在でもサンマは100パーセント天然もので、養殖はされていない。日本近海でよく獲れるため、輸入量も非常に少ない稀有な魚である。スーパーでも山積みにされて売られていることが多い。
ではなぜ、そんな下品な魚を好むようになったのか。
サンマ漁は、紀州に始まる。正月にサンマの姿寿司を食べる風習があった紀州では、昔から好んでサンマを食べており、江戸初期に刺し網漁法が開発されてからは、サンマ漁が非常に盛んだったという。
ただし紀州のサンマは11月から年明けにとられるもの。産卵を終え、脂が落ちてさっぱりしたものだった。
しかし江戸中期になり、サンマを追いかけ北上する紀州の漁師が房総に漁法を伝えると、江戸の河岸にもサンマが入るようになる。房総沖のサンマはまだ産卵前。脂をたっぷり蓄えた状態だ。したがって当初は下品扱いされていたのだが、いつまでも嫌っていられない事情が江戸にはあった。
それは火事。3年に1回は大火事、7日に1度はボヤがあったと言われる江戸の町で、せっかく獲れた魚に上品だ下品だの言っていられなくなったのだ。
しかし思わぬところから、脂っこさを解消する手立てが見つかる。当時流行していた天ぷらである。天ぷら屋台に必ずあった「大根おろし」は、サンマにもぴったり。焼いて脂を落とし、大根おろしでさらに口中をさっぱりさせる。こうしてサンマの美味は広く知れわたるようになった。
さあ、秋だ。サンマを食べよう。焼いても、揚げても、生でもサンマはうまい。サンマは秋の訪れを教えてくれるだろう。
(食ライター じろまるいずみ)
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