考える前にまず行動するのはこの頃からでした。

ユーミンの自宅へはその後も友人を誘い、頻繁に通い彼女の手料理も頂きました。音楽の才能もさることながら料理もすばらしい腕前です。特にカレーが絶品です。

なぜ、彼女は私たちを受け入れてくれたのでしょうか。大学生のキャンパスライフや恋愛を知りたかったからだと思います。なかでも失恋話はうなずきながら耳を傾けていました。

「なんだ沢田は軟派なヤツだ」と思われるかもしれませんね。しかし、自分はただアメフトの練習でくたくたになり、腹をすかしている汗臭い学生でした。

ファーストリテイリング時代にピンクのフリースをユーミンに着てもらったテレビCMができたのも、こうした縁からです。

ユーミンのコンサートの風物詩「SURF&SNOW in Naeba」はこんなことから始まった。

再び学生時代に戻ります。ユーミンが「若い人たちがたくさん集まってコンサートができる場所がないかしら」と聞いてきたのです。ピンときました。子どもの頃からスキーをしていたので「苗場のスキー場がいいですよ」と答えました。苗場の斜面はなだらかで「女の子とスキーに行くなら苗場」なのです。

「それならスキーも兼ねて一緒に行こうよ」となり、ユーミンと正隆さん、友人と私で友人のポンコツ車に乗って苗場に向けて1泊2日の視察旅行に出発です。1979年の冬だったと思います。

記念すべき最初のコンサートは81年3月11日。大学を卒業する直前の春休みです。友人たちと見に行きました。お金がなかったのでホテルでの高い食事は無理に決まっています。レトルトのカレーと電熱鍋を持ち込み、部屋で自炊です。

会場は苗場プリンスホテルの大きなレストラン。テーブルをどけた床には座布団が敷かれていました。ユーミンが2曲目に歌ったのが「最後の春休み」。自分の青春はユーミンのように都会的なものではありませんでしたが「もうすぐ別の道を歩き」のくだりではジンときました。