人との出会いを入り口に
帝国ホテル会長 小林哲也氏
高校時代に吉川英治の『親鸞』を読んだのが、読書に目覚めるきっかけでした。面白くて徹夜で読み、翌朝の野球部の練習をさぼりました。
家が浄土真宗なので宗祖の親鸞に興味があったのです。宗教は難しいものではない、「南無阿弥陀仏」と唱えれば浄土に行けると説き、様々な苦労をされた。当時、僧侶に許されなかった妻帯をするなど、人間的な生き方に強い印象を受けました。
それから山本周五郎を読んで無私の愛を教えられ、司馬遼太郎や藤沢周平、隆慶一郎へと続きます。
こばやし・てつや 1945年生まれ。69年慶応大学法学部卒、帝国ホテル入社。客室の清掃から帝国ホテル東京総支配人まで務め、2004年社長。13年から現職。
座右の書といえば、菊池寛ですかね。「入れ札」と「忠直卿行状記」が特にいいですね。「入れ札」は、捕り方に追われる国定忠治が、残った11人の子分たちと別れるとき、連れて行く3人を、子分たちに入れ札つまり投票で決めさせるという話です。
不人気の子分が、自分は選ばれそうにないが、ぜひ親分について行きたいと葛藤し、ずるいと知りながら自分の名前を書きます。案の定、1票だけで落選です。そのとき「この野郎」と思う仲間がついてきて、阿(あ)兄(にい)の名を書いたのは自分だと言うのです。ウソに腹が立ち、危うく斬りそうになりますが、もっと恥ずかしいことをした自分が情けなくて、思いとどまるところで終わります。
解説を読むと、いろいろな選考会で落選ばかりする作家の心境はいかにと思いやったのが執筆の動機だそうです。苦労人の菊池寛は優しい人だなと思いましたね。
週刊新潮の「写真コラム」を長らく書かれた山本夏彦さんに私は大変かわいがられました。文芸春秋の常務のご紹介です。「先生、この人は帝国ホテルの宿泊部長の小林さんです」。「菊池寛の『入れ札』を読んで感激した、そういう人です」。山本さんは「『入れ札』で感動したって。うれしい話だね」と喜んでくださり、話が大いに弾みました。
年末年始に帝国ホテルに泊まっていただくようになってからのことです。私は入社以来、正月は休んだことがありません。「先生、ご一緒に食事でもいかがですか」と申し上げたら、「いいねえ」となり、以来十数年、元日に山本先生と食事するのが恒例になりました。
先生は頭に詰め込んだコラムの構想を「小林さん、キャンペーンというのはね」という具合に話してくれました。「それは面白いですね」と感想を言いますと、3週間くらいすると「写真コラム」になるんです。
山本先生の文章はエスプリが利いて秀逸です。編集者からは「あの先生と3時間もよく食事ができますね」と言われました。でも面白いし怖い顔が笑うとかわいいんですよ。
「お世話になった客室係の諸嬢によろしく」と、絶筆になった葉書もいただきました。これはいかんと客室係の女性とお見舞いに駆けつけると、椅子に座っておられましたが、3日後には面会謝絶になり、その3日後に惜しくも他界されました。
私は狂歌にも興味があるんです。日栄社の大学受験の参考書『国文解釈要綱』で知り、狂歌って面白いなと頭に刻み込みました。
例えば藤原俊成の「夕されば野辺の秋風身にしみて 鶉(うずら)なくなり深草の里」という和歌がありますね。狂歌師の大田南畝(なんぽ)(別号=蜀山人)にかかると「ひとつとりふたつとりては焼いて食ふ 鶉なくなる深草の里」になる。わびさびの風情が食欲に変わるのですから、滑稽でしょう。
労務課長のころ、書店でなだいなだ著『江戸狂歌』を偶然見つけて興味がよみがえり、読んだら面白いの何のって。高じて『大田南畝全集』にまで行きました。狂歌は言葉の遊びと言ってしまえばそれまでですが、教養の要る遊びです。
読書によって知識を整理できていると、思いがけない様々な出会いを生かせます。偶然の発見を意味する「セレンディピティー」という言葉に魅せられて、それを題名にした本も読んでいます。
就職の際、人間が好きで人との関わりの多い仕事に就きたくて、脳裏にパッと浮かんだのがホテルでした。実際に内外の多くの素晴らしい方々との出会いがあります。職業選択は大当たりで私にとり最大のセレンディピティーです。