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私の履歴書復刻版

ピストンリング製造に苦闘(下) ホンダ創業者 本田宗一郎(8)

2016/9/8

 事業主としてこの間の生活は遊びどころでなく、非常に苦しい日々が続いた。だがピストンリングの製作に成功すればどうにかなるという前途に期待をかけ、みんな励まし合ってこの苦しさと戦った。

 どうにか物になるピストンリングの製作に成功したのは昭和12年(1937年)11月20日だった。製作にとりかかってからすでに9か月すぎていた。大勢の工員をかかえ製品なしの辛苦の9か月間だった。

 一方、浜松高工の聴講生としての私は、ダットサンで通学しはじめた。先生方は歩いて登校しているのに、生徒の私は自動車だったからたちまち評判になった。だが講義の方は、他の生徒が全部先生の言うことをうのみにして筆記しているのに、私の頭はピストンリングの研究とその成功をはかることでいっぱいだったから、あそこで失敗したのはこれだな、こうすればいいんだなといった調子で話を聞くだけでメモはとらない。試験の日になると休んで受けなかった。そこでとうとう2年たったある日、退学を言い渡されてしまった。

 校長に退学の理由を聞きに行くと「君、試験を受けなかった者に卒業免状はやれないよ」と言う。そこで私は負け惜しみではないが、

「免状なんかどうでもいいですよ。私は免状のために学校へ来ていたのではありません。仕事のために勉強しているのですから。映画の切符なら必ず映画館にはいれるが、免状じゃ映画も見られません。映画の入場券より悪いじゃないですか。免状をもらっても絶対に食えるという保証はない。そんな免状なんか……」と毒舌をはくと、校長先生はひどく怒った。

 私は退学を命じられてからも、しばらくの間は自分の好きな時間になると出て行って講義を聞いていた。こうなると月謝は払わないですむ、よけいな勉強に神経を使う必要がない。しかも仕事に必要な研究成果はいただくという前よりむしろ虫のいい寸法と相成った。そしてこのときの勉強が大いに役に立ち、物を考える際とか技術上の疑問点を問いただすときなどの基礎となった。

 さて、やっとピストンリングを作れるようになったものの、量産され商品化するまでにはなお血みどろの苦闘が続いた。研究室を作って研究を重ねたが、いざ販売するとなるとなかなか骨が折れた。トヨタ自動車に納めようと3万本ほど作り、その中から50本ほど選んで納品検査をしたらわずか3本しか合格しなかったというみじめな思いもした。その間、製品は中小会社に流してほそぼそとどうやら暮らしていた。

 資材は統制がいよいよきびしくなり工場を建設するにもセメントがない。そこで私は自分で原料を集め、くふうして自家製セメントを作り、これで土台を築いたりした。

 そのうち研究の成果が少しずつ現われ、2年かかってようやくトヨタの納品として合格するようになった。それがもとで、戦時中トヨタの資本が40%はいり資本金120万円の会社に成長してピストンリングの生産は本格化した。そのときトヨタから取締役としてはいって来たのが石田退三さん(トヨタ自工会長)だった。

 こうして終戦までピストンリングの製造をやっていた。それも自動車だけでなく、海軍の船とか中島飛行機の部品まで造った。特に私が力を入れたのは、ピストンリングの生産方法を女の子にでもできるように自動式に改良したことで、この経験が戦後、オートバイの量産をはかるうえに非常に役立った。

 戦時中、日本楽器ではプロペラを作っていたが、そこからプロペラの削り機を作ってみてくれと頼んできた。それまでの削り機は手動式のもので、プロペラ1本削りあげるのに1週間もかかった。これではとても大量生産できるはずがない。そこで私が考案したのがカッター式の自動削り機である。それは30分に2本作れる当時としては驚異的な工作機の発明だった。各方面から注目され読売報知新聞は「翼増産へ技術の凱歌、手の労働脱却」という見出しで大々的に報道し、私は軍から表彰された。

 しかし、それもつかの間、昭和20年(1945年)に浜松地方に大地震があって工場は倒れ機械はこわれた。そしてこわれた機械を修理しているうちに終戦になってしまった。

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>>第9回 バイクからオートバイづくりへ(上)

 この連載は、昭和37年8月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」をまとめた本「本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書」(日本経済新聞出版社)を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。文中には今日、差別的とされる表現や法律に反する行為の記述がありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。なお明らかに事実と異なる部分は削除しました。

[日経Bizアカデミー2012年2月27日付]

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