小鉢の中の小宇宙 いい店にいいお通し、日替も定番も
「とりあえず、ビール」のコールが終わるかどうかのタイミングで素早く出てくる、今宵最初のひとくち。それがお通しである。
今夜はどんな酒と肴が楽しめるのか、期待と不安を抱えながらお通しを見る。途端に笑みがこぼれることもある。そんなお通しに出合うことができたら、その夜はしあわせだ。
「酒飲みはせっかちだ」と数学の公式のように言われることがあるが、自分に関して言えばまったくその通り。席に座る前からもう飲みたいし、飲み始めたらこれまたすぐに何かつまみたい。
その一方、メニューはじっくり隅から隅まで見たいし、腰はゆっくり落ち着けたい。なので、とりあえずビールとお通しが直ちに運ばれ、ごくごく、ちびちびやりながら一杯飲む間にメニューを決めるのが理想である。
お通しと一口に言っても、その内容は千差万別だ。
毎日必ず違うものを出す店。十年一日、枝豆しか出さない店。ほんのひとすくいの舐め味噌だけの店。もうそれだけでお腹いっぱいになってしまうほど、何種類も盛り合わせてくる店。
「出せばいいんだろ」というおざなりな店も少なくはない。が、小鉢の小宇宙と呼びたいほどのお通しも、世の中には存在するのである。
あまりのおいしさに「お通しをもうひとつ下さい」と懇願した名古屋の店。「自家製です」と甘エビ卵の塩辛を出され、ビールに口をつける前に「日本酒ください」と叫んだ金沢の店。キュウリ1本をポンと出してがっかりさせておきながら、そのキュウリが尋常でないくらいおいしかった長野の焼き鳥屋。
断言しよう。いい店のお通しは、やはりいいものなのだ。
食事の前に、また酒客に、何かちょっとしたものを出す習慣は、和食だけのものではない。
イタリアンではコペルト、フレンチでもアミューズと称してパンとオイルやリエットなどを出す。
中華でも落花生や大根の紹興酒漬けなどの小皿が用意されている。韓国料理に至ってはもう、どちらが主役なのかわからないほど、小皿がテーブルを埋め尽くす。
お通しとは、初めてのお客には安心感を、常連客には新鮮な驚きを与えるのが役目だという。
今はお通しを廃止したり、選べたりする店もあるが、お通しがうまい店にハズレなし。思ってもみない美味に出合うチャンスはお通しにあるのだ。
(食ライター じろまるいずみ)
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