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私の履歴書復刻版

テニス部――根性見込まれ主将に 倫理の大切さ、大学で知る 元ヤマト運輸社長 小倉昌男(6)

2016/8/10

高等科時代は授業をよくさぼった。エスケープして寮の部屋や校庭に寝そべって本を読むことが多かった。先生も黙認してくれた。

東大で(右、昭和18年)

自宅の世界文学全集を読みあさり、モーパッサンやジッドなどを耽読(たんどく)した。夏目漱石の全集を読破し、旧制高校生の必読書と言われた和辻哲郎の「古寺巡礼」、阿部次郎の「三太郎の日記」なども読んだ。授業には出ないが、別の勉強をしていたわけである。ただ、マルクスなどには関心がなく、いわゆるノンポリ学生だった。

高等科に進んでからは成績も中位で安定するようになったし、興味の赴くまま、気の向くままの生活をしていた。今日まで心許し合う友となった熨斗(のし)君と教室を抜け出し、信州の紅葉を見に一晩がかりで小旅行したこともあった。

映画もよく見た。学校から歩いて20分くらいのところに名画座があり、2階が畳敷きになっていたので、寝転がって見るのに都合がよかった。高峰三枝子出演の「暖流」などは何回見たか分からない。ただ午後3時になると、急いでテニスコートに戻ったものである。

私は熱心な庭球部員だった。しかし、下手くそだった。お情けで試合に出してもらったが、ほとんど勝った記憶がない。

だから、先輩から第17代キャプテンに指名された時は驚いた。「技術的にはお粗末だが、根性があるので主将として適当だ」と説明された。東京高校の庭球部は粘り強さや規律、礼儀などを重んじていたのである。意気に感じて引き受け、練習計画の策定をはじめ部の運営に全力投球した。漠然とではあるが、いずれ父の会社を継ぐことになるだろうと考えていたから、リーダーシップの養成にも役立つと思った。

太平洋戦争が始まる1941年(昭和16年)以降は、インターハイが突然中止になるなど、軍事色が強まっていった。それでも、学校では相変わらずテニス一辺倒の毎日であった。運動靴が買えなくなったので、はだしでコートを駆け回る珍妙な光景が続いた。

しかし、時局が切迫するにつれ、気ままだった青春も終幕に近づいていく。勤労奉仕で日立製作所の亀有工場に日勤し、鋳物の木型製作などに従事した。修業年限も半年短縮され、43年9月に東高を卒業することになった。

学校の勉強は怠けたが、テニスを中心とした中高一貫の6年半は、かけがえのない財産となった。今も同窓生が集まると、「東高踊り」を踊るのが恒例になっているほどである。ジェントルマン教育の理想実現に尽くされた歴代校長に感謝したい。私は後に経営者となり、事業を規制で妨害する役所と徹底的に戦うが、自由と自己責任という東高の教育方針が少なからず影響したと感じている。

43年10月に東京大学の経済学部に入学した。受験勉強は夏休みに友人と山中湖の別荘にこもってやった程度で、よく受かったものだ。あこがれの角帽をかぶり、本郷の街を歩いた。今でも覚えているのは、大塚久雄先生の欧州近代経済史の講義である。羊が囲い込まれ、蒸気機関が発明されたイギリスの産業革命の話は面白かった。

マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の講義にも感銘を受けた。それまで需要と供給の関係で動くのが資本主義経済だと思っていたが、その基盤として倫理が重要だという。しかもその倫理は宗教と切り離せないものだと教えられ、強く印象に残った。企業家としてやってきた私の心の底辺に、この講義の影響があったと思っている。抹香臭いと言われるかもしれないが、企業の中心には倫理があるべきだと、今も信じている。

この連載は、2002年1月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。

[日経Bizアカデミー2013年2月4日付]

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