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倫理観とは何か。それはすべての関係者を視野に入れ「何が正しいことか」を考えることです。それが難しいのは、関係者が誰かによって「正しいこと」が変わるからです。すべての関係者を満足させるのは困難です。最終的には意思決定の権限を委ねられた人が決断し、責任を負うしかありません。しかし、唯一の答えがないがゆえに、容易に議論のすり替えが起きてしまいます。それが「倫理の死角」です。

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コーン・フェリー・ヘイグループ 高野研一氏

コーン・フェリー・ヘイグループ 高野研一氏

株主のプレッシャーに押されて短期的利益を追求した結果、将来に向けた投資をおろそかにしたり、株主の利益を犠牲にして社員に優しい経営をしたりすることはいくらでもできます。その最悪のケースが不正です。

それを避けるためには絶えずステークホルダー(利害関係者)全体を視野に入れ、「何が正しいことなのか」を議論するしかありません。頭で理解するだけで正しい行動につながらないならば、日々の実践の中にそうした議論の場をつくるしかないのです。

数ある可能性の中からこれが最善の解だという結論にたどり着いた時、本末転倒な施策や不正の入り込む余地はなくなっているでしょう。それが継続的にできた時、初めて会社はすべてのステークホルダーから信頼されるに足る公器となります。渋沢栄一の「論語と算盤(そろばん)」の世界です。

終身雇用制をとる日本企業では、役員の経験が偏り、視野が内輪に閉ざされがちです。その結果、株主や社会、海外の市場などの利益が軽視されやすい傾向があります。よく不祥事の場面で「会社のためにやった」という話を聞きますが、そこでは迷惑をこうむったユーザーや株主、社会はステークホルダーと考えられていないのです。

このため、目に見えにくいステークホルダーを理解できる人を取締役に招く必要があります。経営の効率が落ちるから社外取締役は要らないという議論は、自分のやりやすさだけを考えた「倫理の死角」といえます。

ケーススタディー すべてのステークホルダーを視野に入れ、「何が正しいか」を考える

人間は誰しも自分に都合よく物事を解釈する性向があります。このため、多くのステークホルダーが関わる意思決定においては、放っておくと合意に至ることが困難です。そこで、権限と責任を担える人を選んで意思決定を委ねます。ところが、委ねられた人もまた人間であるところに、構造的な限界があります。そこに、癒着や贈収賄の入り込む機会が生まれるのです。

本書は、こうした構造的な限界を第三者が利用しようとする動きとして、政治の世界におけるロビー活動を挙げています。過去にたばこメーカー、監査法人、エネルギー業界などがロビー活動に注力してきたことによって、喫煙と肺がんの関係はうやむやにされ、監査法人がコンサルティングを兼業することで監査の独立性が損なわれ、温暖化ガスによる環境への影響は不透明という世論が形成されてきたといいます。

その一方で、多くのたばこ会社は、いざ喫煙と肺がんの関係を認めざるをえなくなると、今度は「たばこが有害だという可能性は広く知られていたのだから、損害賠償を請求できない」という立場に豹変(ひょうへん)したといいます。意思決定権をもつ政治家が「倫理の死角」に陥れば、社会全体が有害な方向に向かうこともありうるということです。

政治や経営を預かるリーダーが最も注意しなければならないのは、こうした「利益団体の圧力」や「株主のプレッシャー」といったものに安易に流され、他のステークホルダーが見えなくなり、本末転倒な打ち手に飛びついてしまうことです。それを避けるためには、リーダーが常にすべてのステークホルダーを視野に入れ、「何が正しいことなのか」を考えることが重要になります。

リーダーを育てる京セラ「アメーバ経営」

こうした観点からリーダー論を語っている人として、京セラの創業者で名誉会長の稲盛和夫氏が挙げられます。稲盛氏は「経営における判断は、世間でいう筋の通ったこと、つまり『人間として何が正しいのか』ということに基づいて行わなければならない」といいます。つまり、リーダーは、公平、公正、正義、勇気、誠実、博愛といった普遍的な価値観に基づき、すべてのステークホルダーを視野にいれて、正しい判断を下さなければならないということです。

京セラの「アメーバ経営」では、小集団「アメーバ」間で社内取引が行われます。しかし、当事者間で交渉に決着がつかないこともあり、その際は売り手と買い手のアメーバの上に立つ上級管理職に裁定が委ねられるといいます。そして、そこでは公正・公平な判断が求められます。

彼らは、労働の価値に対する見識を持つ必要があり、この電子機器を販売するには粗利が何パーセント必要なのか、この仕事をするアルバイトの時給はいくらか、この作業の外注コストはどのぐらいかといった知見に基づき、すべてのステークホルダーにとって何が正しいことなのかを考えて判断します。市場における神の見えざる手を人間が担おうというわけですから、そこには高い見識と公正さが求められるのです。アメーバ経営では、こうした公の立場に立って、広い視野から判断する機会が多く与えられており、それがリーダーの育成において重要な役割を果たしているといいます。

もちろん、アメーバ同士のエゴが前面に出て、けんかになってしまうことも多いことを稲盛氏は認めています。しかし、稲盛氏は「個として自部門を守ると同時に、立場の違いを超えて、より高い次元で物事を考え、判断することができる経営哲学、フィロソフィーを備える必要がある」と繰り返します。それは単純に相手の言うことを受け入れるということではありません。たとえ相手のアメーバのことを思いやっていても、自部門の採算を下げることが許されるわけではありません。それでは株主の期待に応えることにはならないからです。

リーダーに求められる「自分の弱さを認める勇気」

本当にすべてのステークホルダーのためを思うなら、「普通なら利益が出ないと思われるこの値段でも、何とか採算を上げてみせよう」と、人一倍の努力をする必要があるといいます。いままでにない徹底した原価低減を行う覚悟、自らがすさまじい努力をはらう覚悟を持って譲歩するというのが、本当の利他行(りたぎょう)であると稲盛氏は考えているのです。こうした議論が行われる場を根づかせることが、正しいモノの見方ができる経営者・管理職を育て、社会が信頼するに足る公器をつくることにつながっていきます。

稲盛氏は、リーダーは全てにおいて人格者でなければならないと断言します。そこまで求めるのは、一見非現実的なことのようにも聞こえるかもしれませんが、実はそうでもありません。リーダーが利己に走るのは、上司や部下から責められることを恐れて結果を取り繕おうとするからです。人間は弱い生き物であるがゆえに、真実から目をそらし、自分に都合のいい解釈をしてごまかそうとします。しかし、稲盛氏は、それではリーダーとしての真の勇気を持っているとはいえないといいます。

人格者とは、うまくいかなかった時、それを正直に認めることができる人のことをいいます。自分の至らないところを認めることは、精神的につらいことではありますが、能力的に非現実的なことではありません。むしろ、人間の弱さを隠れみのにして、利己を貫こうとするところに、稲盛氏は危うさを感じています。

公平、公正、正義、勇気、誠実、忍耐、博愛といった理念は、実は高い技能がなくても、人として正しいことを理解する力さえあれば行動として発揮できます。しかし、人間は知識や能力の不足を隠そうとするあまり、公正さや誠実さを欠いた行動を取ってしまいます。稲盛氏はそうした人間の弱さを正当化することを許さず、リーダーには自分の弱さを認める勇気を求めているのです。

「倫理の死角」を乗り越えるために我々が知らなければならないのは、何が正しいかではありません。コンプライアンス(法令順守)の仕組みやガイドラインですらありません。我々が知るべきなのは「人間の弱さ」なのです。そして、それと対峙する勇気を持ち、それを乗り越えるために実践することが重要になります。それを繰り返すことで、社会から信頼されるに足る人と組織をつくり上げることが可能になるのです。

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高野研一(たかの・けんいち)
コーン・フェリー・ヘイグループ社長

1987年、神戸大学経済学部卒業。1992年6月シカゴ大学ビジネススクール(MBA)修了。大手銀行勤務、外資系、戦略系コンサルティング会社を経て、ヘイグループ(現コーン・フェリー・ヘイグループ)に入社、2007年10月から社長。著書に『カリスマ経営者の名著を読む』(日経文庫)、『超ロジカル思考 「ひらめき力」を引き出す発想トレーニング』(日本経済新聞出版社)などがある。
=この項おわり

この連載は日本経済新聞火曜朝刊「キャリアアップ面」と連動しています。

倫理の死角ーなぜ人と企業は判断を誤るのか

著者 : マックス・H・ベイザーマン, アン・E・テンブランセル
出版 : エヌティティ出版
価格 : 3,024円 (税込み)

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