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マックス・ベイザーマンとアン・テンブランセルは本書を20年かけて書いたといいます。原著「Blind Spots」の出版が2011年。リーマン・ショックを経験し、金融機関や格付け機関、監査法人といった権威が地に落ち、経営者の高額報酬が批判の目にさらされた時期です。

(2)気付いたら不適切行為 悪意ない人に性善説は通じない >>

コーン・フェリー・ヘイグループ 高野研一氏

コーン・フェリー・ヘイグループ 高野研一氏

日本においても経営者や政治家の倫理観・社会的責任が大きくクローズアップされるようになってきました。直近でも三菱自動車の燃費不正問題、パナマ文書、東京都知事の公私混同が大きく報じられたところです。

情報革命により、誰もが暴露情報を発信・検索できるようになりました。その中で、権限を握る経営者や政治家に対する世間の目も厳しくなってきています。本書はこうした文脈の中で読んでみる価値があります。

倫理の問題に対するスタンスは大きく分けて2つあります。一方は性悪説に立ち、悪意を持った為政者をけん制しなければならないという立場であり、もう一方は性善説に立ち、問題は人の悪意にあるのではなくシステム上の欠陥によって起こるという立場です。

リーマン・ショックの元凶はウォール街やワシントン、格付け機関の無責任な金もうけ主義にあったのか、デリバティブなどの金融技術の発達に社会制度が付いていけなかったというシステム上の欠陥にあるのか。こうした問いが長年に渡って繰り返されてきました。

本書の最大の特徴は、この2つの立場のいずれもが、実態を正しく捉えていないというスタンスを取っていることにあります。つまり、人は悪意を持たなくても、倫理に反する行動を取ることがあるということです。これを「倫理の死角」と呼んでいます。

日本でも、コーポレートガバナンス(企業統治)の議論が盛んになる中で、経営者を性善説で見るべきか、性悪説で見るべきか、意見が対立しています。本書はそこに対する解を示唆してくれているように思えます。

ケーススタディー いかに「知行合一」を実現するか

本書は、「人は悪意を持たなくても、倫理に反する行動を取ることがある」という事実に着目します。つまり、何が正しいことなのかを知っているだけでは、必ずしも正しい行動にはつながらないということです。

これに近いことを表現した格言として「知行合一」があります。知っていることを実行に移すことがいかに難しく、かつ重要であるかを意味しています。この言葉を座右の銘にしている経営者として、コマツの元社長の坂根正弘氏が挙げられます。坂根氏は真のコーポレートガバナンスを重視する経営者の一人でもあります。坂根氏はこう言います。

「アタマに知識だけ蓄えても、それを行為や行動に生かさないのであれば、真に知っているとはいえない」

坂根氏は、まだ多くの日本企業が二の足を踏む時期に中国に進出し、そこから中国での成功要因をつかんだり、周囲の反対を押し切って収益性の低い事業や特徴のない商品を切り捨て「ダントツ商品」を創出したりしてきました。

その一方で、国内市場が縮小に転じ、過去の成功パターンが通用しなくなった昨今、坂根氏は「日本人の誰もが傍観者になってしまっている」ことを憂いています。そして、それを「リーダーシップの不在」と断じています。坂根氏の言葉からは、目の前の危機に本質的なメスを入れず、リスクを回避して行動に移らずにいながら、現状が分かっている、やるべきことを知っているとは言わせないという厳しさが感じられます。

あらゆるステークホルダーを視野に、何が正しいかを考える

坂根氏はコマツ独自の価値観をまとめた「コマツウェイ」の中に、経営者としての行動規範を次のように記しています。

・取締役会を活性化すること
・社員とのコミュニケーションを率先垂範すること
・ビジネス社会のルールを順守すること
・決してリスクの処理を先送りしないこと
・常に後継者育成を考えること

坂根氏は取締役会などでトップの提案に対する異論が容認され、場合によってはストップをかけることができる状態にあることを重視しています。いわゆるコーポレートガバナンスが効いた状態です。

坂根氏自身、コマツの取締役会が買収案件に際して「買収金額が4億2000万ドルまでなら、社長以下執行部は買収を実行してもよい」という条件を付けたことが理由で、買収を断念せざるをえなくなった経験があります。しかし、「悔しい気持ちはなかったといえば嘘になりますが、それでも、活発な取締役会は、会社の長期的な利益にかなうと考え、納得しました」と述べています。

ここから、ビジネスにおける倫理の問題とは、単に不正をしないということにとどまらず、あらゆるステークホルダー(利害関係者)を視野に入れ、何が正しいことなのかを考えることであると理解することができます。問題の先送りをせずに改革を断行すること、リスクを回避せずにチャレンジすることも、ビジネス社会のルールを順守するのと同じぐらい重要であり、かつ経営者の自己規律が求められるということです。

坂根氏は「会社が凡庸な企業で終わるか、偉大な存在に飛躍できるか、その分かれ目は、危機に臨んで、経営陣がどんな対応をするかに左右される」といいます。目の前の危機から目を背け、易(やす)きに流されるか、危機を逆手にとって思い切った改革に踏み込むかは、頭で理解しているかどうかではなく、経営者がどれだけ自己を律することができるかどうかにかかってきます。そこであえて困難な道を歩んだ経営者だけが、危機から多くのことを学び、すべてのステークホルダーにとって何が正しいことなのかを発見できるのです。これが坂根氏のいうところの「知行合一」なのです。

解は日々の実践の中に

本書では、頭で理解していても倫理に反する行動を取ってしまう「倫理の死角」と呼ばれる現象に関して、心理学の観点から様々な考察が行われています。しかし、半ば無意識のうちに心の隙に入り込んでくる「倫理の死角」を乗り越えるための手段については、残念ながら明快な解が提示されているとはいえません。これは、著者を批判しているのではなく、「こうすれば問題が解決する」といった安直な解がない世界に、倫理の問題が存在していることを意味しています。

倫理の問題に直面する経営者や政治家は、多くのステークホルダーに代わって意思決定を行う立場にあります。そこでは、中立の第三者として意思決定権をあずかっているという建前があります。しかし、実際にはステークホルダーの中には、自分自身や仲間も含まれ、必ずしも中立的な第三者とはいえません。プレーヤーが同時に審判も務めるような構造があるのです。こうした建前と実態の乖離(かいり)が、自分や仲間の利益を、それ以外のステークホルダーよりも優先するという行動につながります。「公」と「私」を明確には分離できないという構図の中に、この問題の根の深さがあります。

坂根氏がコマツウェイに経営者としての行動規範をしたため、次世代の社長に自己規律を求めたことや、第三者の立場で厳しい意見を言ってくれる人を社外取締役として招へいし、取締役会の議論を活性化させたことは、こうした難しい問題に対処する上での一つの解といえるでしょう。しかし、それでさえも、実践が甘くなれば、絵に描いた餅になってしまいます。仕組みやルールで解決できる問題ではなく、何がすべてのステークホルダーにとって正しいことなのかを探求し続ける習慣をどう根づかせるか、つまり日々の実践の中にしか解はないといえるでしょう。

(2)気付いたら不適切行為 悪意ない人に性善説は通じない >>

高野研一(たかの・けんいち)
コーン・フェリー・ヘイグループ社長

1987年、神戸大学経済学部卒業。1992年6月シカゴ大学ビジネススクール(MBA)修了。大手銀行勤務、外資系、戦略系コンサルティング会社を経て、ヘイグループ(現コーン・フェリー・ヘイグループ)に入社、2007年10月から社長。著書に『カリスマ経営者の名著を読む』(日経文庫)、『超ロジカル思考 「ひらめき力」を引き出す発想トレーニング』(日本経済新聞出版社)などがある。

この連載は日本経済新聞火曜朝刊「キャリアアップ面」と連動しています。

倫理の死角ーなぜ人と企業は判断を誤るのか

著者 : マックス・H・ベイザーマン, アン・E・テンブランセル
出版 : エヌティティ出版
価格 : 3,024円 (税込み)

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