氏家:「店の入り口でお客様を出迎えたスタッフ以外の、カウンターの向こうで調理する人、皿を洗う人、料理を運んでいる人、レジで会計する人など、店内で働く他のすべてのスタッフが、<いらっしゃいませ!>という言葉を耳にした瞬間、仕事の手を止め、立ち止まり、声の聞こえた方向に目をやり、お客様の様子をしっかり見て状況を把握した上で、<いらっしゃいませ!>とお声がけしたのか。手を動かしながら、歩きながら<いらっしゃいませー……>とおざなりに声を出しただけなのか。前者がお薦めの店、後者があまりお薦めしたくない店です」
梶原:「ほお……?」
氏家:「最初に客を出迎えたスタッフが、客の全ての面倒を見られるというわけでもありません。ご家族でお見えだ、お仲間を引き連れておいでだという場合、一人では手に余ります。仲間の助けが必要な事態の発生もありうることです。そういう状況が、<いらっしゃいませ!>の声が聞こえた方向に目をやることで見えてくるというわけです。<いらっしゃいませ!>は、<誰か手の空いている人、助けて>という<裏メッセージ>ともなります」
梶原:「なるほど……」
氏家:「小さい子供連れへの接客なら、手の空いている者が、ささっと動いて、チャイルドチェアを素早く運ぶほうが、お店としては合理的ですよね。介助が必要なお年寄りがいらっしゃれば、別のスタッフがすっと駆け寄り、お手伝いすることだってできますでしょ?」
梶原:「気の利いた店は、そういうふうに暗号を送り合っているんですねえ……」
氏家:「飲食店ではお金を払うお客様が主人公です。店のドアを開けた瞬間、お客様の物語がスタートするのだともいえます。物語の主人公を無用に待たせたり、退屈させてはならないと思うんです。<いらっしゃいませ!>というグリーティング(接客業界のもてなし用語)は、お客様により快適に楽しんでいただくため、スタッフが協働するのに必須な情報を伝え合う合図であり、暗号なのです」

「グリーティング」コールを聞き逃すな!

梶原:「合図が聞けない、暗号が解読できないスタッフばかりの店があまり好ましくないという感じ、わかります!」
氏家:「これ以外に、例えば<少々お待ちください>というグリーティングでも同じことがいえます。スタッフがお客様から声をかけられたが、別の仕事で手が離せず今すぐ自分には対応できない。そういう場面で<少々お待ちください>というグリーティングが使われます。もちろん、まずはお客様に向けての<謝罪の言葉>としてですが、それは同時に自分以外のすべてのスタッフへの緊急コールという裏メッセージでもあるのです」
梶原:「このコールをスタッフが、聞き逃してはいけないんですね?」
氏家:「そうです! コールをキャッチしたスタッフのうち、対応可能な人が即座にお客様の元に急行する。このグリーティングの“裏にある意味”をスタッフ全員が共有することで意思疎通の円滑化が図られ、サービスはよりスムーズに進行していく、というわけです」
梶原:「<少々お待ちください>という<緊急コール>を、スタッフにスルーされたらうまくない……」
氏家:「スルーされたら、仕方なく<○○さん、お客様ご案内お願いしますね!>とか<××さん、こちらのお客様のお会計、私の代わりにお願いできますか!?>などという指示をお客さんの聞こえるところで出すしかなくなります。こんなお店で、いいサービスが期待できます?」
梶原:「確かに! 手いっぱいでできないってことを思いっきり白状してしまっているように聞こえますね。客に店側の混乱や慌てぶりが生々しく伝わる。そういう事態を防ぐためには、簡潔なグリーティングで、スタッフ同士が暗号を交わし合い、裏メッセージを解読しあって、何事もなかったように仕事を進める方が、気が利いているかもしれません……」
氏家:「グリーティング以外の指示が頻繁に飛び交うのは残念なお店、かもしれません」

なるほど納得だ。とはいえ、グリーティングという、いわば接客マニュアルが万能か、といえばそんなこともない。

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働く若者たちも大変なんだ……
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