変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック

1990年代、スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)を立ち上げる一方でホテル事業に参入、証券会社も買収した。

エイチ・アイ・エス(HIS)が店頭公開した95年は日本経済のバブルがはじけた後で、日本全体に元気がない時代でした。豪州のホテルのほとんどを日本企業が所有していましたが、撤退が相次ぎました。しかし私は「豪州から撤退する日本人だけではない」という反発心もあり、96年に豪州ゴールドコーストに大型リゾートホテルを開業しました。

当時最年少の役員だった平林氏(右)をHISの社長に抜てきした(2008年)

当時最年少の役員だった平林氏(右)をHISの社長に抜てきした(2008年)

当時は40歳代でエネルギーが満ちあふれていました。店頭公開で得た資金を元手に、経営不振だった協立証券(現沢田ホールディングス)を99年に買収しました。同証券を助けてほしいと頼まれたのがきっかけでしたが、将来は旅行業と金融業が重なり合う時代が来るという読みがありました。証券会社を足がかりに銀行業を含む総合金融業への参入を考えたのです。

しかし、これは見通しが甘かった。買収直後、協立証券の社長に就いて経営再建の陣頭指揮を執りましたが、これまでの成功体験が通用しません。証券取引は未知の分野で、再建にたいへんな苦労をしました。06年には手腕を買って招いた当時の副社長が不幸な死を遂げるという痛ましい事件もありました。

沢田ホールディングスは16年3月期に110億円の経常利益を見込むなど業績好調です。証券業への進出で味わった失敗から、自分が苦手な事業は有能な経営者に任せた方が良いことを学びました。この教訓を生かして、03年に買収したモンゴル農業銀行(現ハーン銀行)には世界トップクラスの経営者を招き、モンゴルでトップの銀行に育てました。実はハーン銀行買収の際に鉱山の買収も持ちかけられましたが、これは断りました。

08年に当時40歳だった平林朗取締役をHIS社長に抜てきする。

04年に創業期からの仲間である鈴木芳夫さんが社長に就き、会長に退きました。平林君の社長就任で若返りを図りました。HISを創業してすでに30年が過ぎ、旅行業で「私の時代は終わった」と感じたからです。

格安航空券を普及させた経験は、スマートフォン(スマホ)での旅行予約が当たり前の時代に通用するとは限りません。新しい時代の旅行業を切り開くのは若い世代の役目です。若い平林社長がHISを率いることで、創業期のベンチャー精神を取り戻したいという思いもありました。

HISの経営から退き、次の挑戦として考えたのが教育でした。これまでお世話になってきた経営学者の野田一夫先生に協力してもらい、観光関連の大学を立ち上げる構想を温めていました。具体的な話が進み始めた矢先、あるテーマパークの再建案件が九州から持ち込まれます。ハウステンボス(長崎県佐世保市)です。

[日経産業新聞2016年1月19日付]

<< (11)「LCC」早すぎた試み  (13)火中の栗 あえて拾う >>

新着記事

Follow Us
日経転職版日経ビジネススクールOFFICE PASSexcedo日経TEST

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック