関東平野の外側はソースカツ丼地帯 驚きの沖縄カツ丼
どんぶり・ライス(2)
つい先日のことである。東京で遭遇したのである。「人肉焼300円」。主人が「ニンニク」と読ませようとしていることがわかったのだが、それにしてももっとほかの書き方はなかったのだろうかと思ったのだった。
その夜は知り合いの編集者と一緒だった。その人となぜこういう表記になるのか考えてみた。「さあ、どうしてでしょうね」というのが2人の結論だった。
件(くだん)の店には魚肉ソーセージ入りスパゲッティナポリタンと稲庭うどんが共存している。料理担当のおじさん、といっても私より若いかもしれないおじさんに聞いた。
「魚肉ソーセージナポって懐かしいですねえ。昔の喫茶店を思い出しますよ」
「おれ、ほら、前に喫茶店やってたから。これ人気あるんだよ。結構でるよ」
「稲庭うどんも渋い」
「アチタ(秋田)だからさ、おれ」
「やっぱりそうだったんですか。アチタだったんですね」
「そうそう」
というわけで、こっちの方はすっきりくっきりわかったのだった。
会津若松市内の一部のラーメン屋や豚カツ屋、東山温泉街の食堂、会津坂下などでも「ソ-ス煮込みカツ丼」は食べられます……岩手県の一部にはソ-ス味の「あんかけカツ丼」というモノがあるらしいです……岐阜県の一部では醤油ベースの「あんかけカツ丼」があるらしいです(kazusuketさん)
ソースカツ丼の分布を調べるのが今回の目的のひとつだったのですが、ソース煮込み卵とじカツ丼の出現は予想外でした。ソースカツ丼は卵と無縁という根拠なき前提に立っていたものですから。
そこにもってきてソース系および醤油系あんかけカツ丼の話まで出てきて、正直びっくりしています。読者の多くもそうではないでしょうか。名古屋にはカツ丼と天津丼が合体した天津カツ丼というものもあります(今もあると思う)。丼ものは深いぜ。
一口にソースカツ丼とは言うけれど微妙に違うようだ。
私が福井市内で食べたソースカツ丼は確かにキャベツなし。一口大のカツをソースにくぐらせてご飯にのせたものでした。野菜サラダが欲しかったことを覚えています。
ところで調べていてわかったのですが、駒ケ根には馬肉を使ったソースカツ丼があるみたいですね。名付けて「さくらソースかつ丼」。
ちなみに今でもカミさんは「トンカツはヒレだ!」とか「ソースはウスターじゃなきゃイヤだ」とか、ソースカツ丼じみたことばかりにこだわりがあります(栃木県在住のカズボボさん)
最後のカミさんの部分はついでにのっけておきました。どんなカミさんなでしょうね。
群馬県の桐生がソースカツ丼発祥の地説。初耳です。詳しく知りたいものです。前回紹介しましたが、一応ソースカツ丼の誕生は大正2年の東京ということになっていますが「志多美屋」がそれ以前にこのメニューを出していたのなら定説は覆ります。「たべもの起源事典」も書き換えを迫られます。
1. 味と見た目
そばつゆを少し甘めに味付けしたような、さらっとした「たれ」にくぐらせた一口トンカツ(といってもひれカツのように高級な肉ではありません)2、3切れを白飯の上に並べたもの。あくまでウスターソースやトンカツソースの類の「たれ」ではありません。おそらく醤油、砂糖、みりん、少々の鰹だしか化学調味料をブレンドした味です。キャベツなども添えられていません。
2. 生息地
昔ながらの大衆食堂、またはおそば屋さん
3. 普通のカツ丼との呼び方の違い
店によって異なるかもしれませんが、普通の卵とタマネギでとじられたカツ丼は「上カツ丼」という名称で、「ソースカツ丼」と区別されていました。卵でとじられてない分、後者の方が20-25年前の価格で200円くらいは安かったと記憶しています。
余談ですが、私は東京の大学に入学するまで、このような風貌のソースカツ丼は全国共通のどこにでもあるメニューと思っていたのですが、人に聞くとどうもそうではなく、群馬独自のものらしいと初めて知った記憶があります(高橋さん)
野瀬断定 桐生を含む群馬県はソースカツ丼地帯である。
逆に私は大学時代、都内のある食堂で「おばちゃん、煮カツひとつ!」と言ったら怪訝な顔をされた覚えがあります。その時、生まれて初めて「食の方言」を実感しました。
山梨と長野南部は言語、文化ともに大変よく似通っていますので駒ケ根市、伊那地方に「ソースカツ丼」があるのは理解できます。甲州弁を他県で使っても通じるのは、長野県南部だけでしょう(山梨県職員さん)
野瀬断定 県職員の方がおっしゃるのだから間違いないでしょう。
長野、福井、会津若松がある福島に続いて群馬、山梨もソースカツ丼地帯の名乗りをあげた。その際、いわゆる卵とじ型カツ丼は卵カツ丼、上カツ丼(群馬)、煮カツ丼(山梨)などという呼び方で区別されていることが判明した。逆に言うと、ソースカツ丼地帯であってもそれ一色ではなく、卵とじ型と共存していることがうかがわれる。では福井ではどのように区別してるのだろうか。
こんなおあつらえ向きのメールを待っていたんです。
その店のお品書きかサンプルの前でのこと。「ソースカツ丼だよ。食ったことないだろ、お前?」「ないですね~」「関東平野の外側では、よく食べられているんだ」「はぁ??」「おれの経験では、少なくとも東京ではほとんどお目にかかれない」
この一言にヤラレタ。食ったことないだろ?と聞く時点で、彼は彼の説に自信があるよう思えた(東京出身東京在住の三宅さん)
長野、群馬、山梨、福島とも関東平野の外側である。栃木はどうなのか気になるところだ。もし栃木もソースカツ丼地帯だとすると、首都圏はソースカツ丼軍団に完全包囲されていることになる。
首都圏の卵とじカツ丼軍団と全面戦争の危機。そこにソース軍団から会津若松のソース煮込み卵とじカツ丼が立ち上がり仲裁に入る。
「まあまあ、私みたいなどっちでもないというか、どちらでもあるようなモノもいるわけですから、共存の可能性はあると思うんですよ」。さらに新潟から駆けつけた醤油たれ系カツ丼も加わって「そうそう、私みたいに天丼を親せきに持つモノだっているのですから、ここんとこは丸く収めては」。
福井のソースカツ丼もやってきて「元祖の私をのけもにして、何をやってるんですか」とほっぺたを膨らます。ふと気がつくと、そこに沖縄カツ丼が立っていた。
厚さ推定5センチという大量の野菜炒めを伴侶に持つ卵とじカツ丼の登場に、緊迫した空気は一挙にほぐれた。「我々こそ真のカツ丼である」といくら力を込めて主張しても、沖縄カツ丼の姿を眼前にしてはすべてがむなしく、微苦笑を浮かべるしかなかった。「どうでもいいか」という無言の合意ができあがったのである。
チャンポンと言いつつ実はご飯ものであったという衝撃を与えてくれた沖縄は、またしても無用な対立から食べ物界を救ってくれたのである。
この騒ぎをまったく知らず、加賀百万石の御城下で悠然と構えているカツ丼もいた。
金沢には有名なビーフのカツ丼があるはずだが、彼もまた泰然自若としていた。東京・神田の丼型ステンレス食器に入りフォークとスプーンで食べる「カツトップ」もどちらの陣営にも属さず事態を静観していたのであった。なぜならこの両者は丸皿カツ丼と同様、洋食屋さんのメニューであるため、自分たちの問題だという認識がなかったからであった。
ところで、廊下ですれ違った弊社社員某。「きのう近くの店にソースカツ丼があったので頼んだら、何にもかかっていないカツとキャベツがのった物件が出てきたんです。テーブルの上のソースを勝手にかけて食べるんですって。これじゃあトンカツ定食を丼に盛ったのと一緒ですよね」と泣きそうな顔で言った。同情した。
おっと、金沢情報がもう1件。
私も3年間金沢に住んでいましたが、ハントンライスは知らなかったなあ。ハントンてどういう意味? だれか教えて。
木の葉丼、他人(開化)丼も主張する。
それと、東京芸大の大浦食堂では、豆腐ともやしをピーナッツオイル(だと確信しているのですが、教えてくれない)で炒めたものをご飯にのせて、バタ丼として売っています。これは学生にも好評です。おそらくオリジナルだと思います。なぜ焼かれるのがバタなのか、豆腐ではないのか疑問ですが(丼も好きさん)
「木の葉」はどこからでしょう? 揚げ→キツネ→人を化かす→木の葉?(native関西人さん)
親子丼ですが、子供のころに母親が作ってくれたのは、親子汁(かしわ、卵、タマネギの入ったやや濃い目のおつゆ)を御飯にかけたものでした。普通に食べる親子丼とは違ったものでした(小田さん)
それは豚肉、白菜、かまぼこ、キクラゲなどをピリカラに味付けしたあんかけ風の丼ものだったと記憶しています(鎌倉ROSEさん)
ここでデスク乱入 キクラゲと聞いては黙っていられません。この顔ぶれは、ほとんど中華丼ではありませんか!? 中華丼や天津丼、マーボー丼といった中華料理店系には、変わり者はいないのでしょうか。
あの有名店のチャーハン鰻丼みたいな?
そして京都。
きんし丼は新京極「かねよ」ですか。
木屋町には「あぶ玉丼」を出す店もあったようですが、京都は珍しいもんがようけあって、よろしおすなあ。
(特別編集委員 野瀬泰申)
[本稿は2000年11月から2010年3月まで掲載した「食べ物 新日本奇行」を基にしています]
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