旅から生まれた挑戦者(10) 初飛行へ綱渡りの連続
ハウステンボス社長 沢田秀雄氏
スカイマークエアラインズ(現スカイマーク)は人材集めに苦労する。
スカイマークは設立当初、2年以内に就航することと運賃をこれまでの半分にすることを消費者に約束しました。航空機2機を定期運航するにはパイロットや整備士、運航管理者、本社スタッフなどで約250人が必要でした。もちろん航空業界に精通したプロフェッショナルでなければなりません。
スカイマークエアラインズの第1便に乗り込む沢田氏(中央、9月19日、羽田空港)
ところが当時、日本では航空業界のプロはほとんどが大手航空会社で働き、年収も1千万円を超えていました。運輸省(現国土交通省)の事業認可もなく、本当に運航できるのか分からない航空会社に入ってくれる人は少なく、設立から1年が過ぎても集まった社員はわずか25人でした。
「自分の考えが甘すぎた。もうやめよう」。消費者に約束した初フライトまであと1年。「撤退」の二文字が脳裏をよぎりました。航空機を2機発注すると200億円以上かかります。運航できなければ莫大な負債を抱え、倒産です。まだ航空機を発注していなかったので「会社を清算しても数億円の赤字で撤退できるし、傷は浅くて済む」と撤退を本気で思いました。
しかし「寡占状態の航空業界に新風を吹かせたい」というチャレンジ精神は消えませんでした。全国の消費者もスカイマークの挑戦を応援してくれました。心を入れ直して人材集めに奔走し、残り1年で約250人の社員を確保しました。
初フライト前日まで運輸省の事業認可が下りなかった。
1998年9月19日の初フライトは予約だけで満席になりました。しかし肝心の事業認可が下りません。航空会社の新規参入は35年ぶりだったため、規制緩和に前向きだった運輸省も検査には厳しい姿勢で臨みました。