冷やし中華、冷麺、冷やしラーメン…どう呼びますか?
いわゆる冷やし中華(1)
先週、久留米に行ってきた。
何しろ我がふるさとが「焼き鳥日本一宣言!」をするというのに、その旗の下にはせ参じないわけにはいかないではないか。会場をいっぱいにした私の父親を含む市民100人余は(150人くらいいたかも)は、テレビ4局、新聞各紙(日経を除く)のカメラと記者が見守る中、「久留米~焼き鳥い~にっぽんいち~」と声を合わせて宣言したのである。
正確に言うと、宣言を主導する役の人はマイクを持って「ご唱和願います」と言いつつ合図もせずに一気に宣言したため、声を合わせようとする意欲だけが会場に充満したまま単独宣言になってしまったのだった。それでもいいのだった。こうして2003年6月14日をもって久留米は人口比で専門店が全国で最も多い我が国最強の焼き鳥都市として声高らかに立ち上がったのである。
その前夜、私は実体不明の非営利道楽団体「久留米焼き鳥学会」のメンバーたちと市内の焼き鳥屋をはしごした。豚系あり鶏系あり。以前紹介したように北部九州ではシシャモや貝柱、エビなんかも串に刺して焼き鳥の範ちゅうに入れるが、久留米にもそんな海系のものがあった。
行列ができていて入れなかった人気店の人気メニューは「骨つきカルビ」だった。「焼き鳥ではなく焼き肉ではないか」と思ったが、地元ではこれも立派な焼き鳥だったのである。
実は久留米の焼き鳥を食べたのはその夜が初めてだった。父が全くの下戸だったから子どものころに焼き鳥屋に入ることはなかった。久留米には18歳までしかいなかったが、酒の出る店に友人同士で潜り込むこともなく、従って焼き鳥屋とは無縁な青年だった。
同行の檜枝さんや豆津橋さんなんかは「小学校の運動会が終わると家族で焼き鳥屋に行った」とか「おやじが飲んで帰ってくるときのお土産は焼き鳥だった」とか「10円もって焼き鳥屋で買い食いした」などと言いつつ焼き鳥少年の思い出を語るのだが、私にはそんなおいしい記憶はない。だから「ダルム」が皿にのって出てきたときには、心底たまげたのだった。
「ふんなら、まずタンとダルムとセンポコば頼もか」と誰かが言った。「何ね、そりゃ」と私は心の中でつぶやいた。タンは別にして、ほかのは鶏の特殊な部位ではないのか。それが第一感だった。
だが「タン」は焼き肉屋の「タン塩」とは遠く離れた姿をしていた。スライスではない。厚さ1センチほどの板状をしている。密度の高い茶色のスポンジみたいなものである。「ダルム」はフワフワ感を漂わせた乳白色の物件。
1字呼び方を間違えると大変なことになる「センポコ」は赤と白がまじった薄いゴムのような形状。
店の人に聞いた。「ダルムって何ですか」「大腸ですね」「じゃあ、センポコは?」「大動脈です」。東京の焼鳥屋で食べる白モツは牛か豚の小腸だが、それに比べると「ダルム」はあまりにぶっ太いし、大動脈も牛、豚のわりには余りに大きい。ひょっとしたらゾウ? ひょっとしてマンモス?
結論を言えば、タンもダルムもセンポコもすべて馬だったのである。馬刺しはともかく馬のモツを焼き鳥にしている地域が日本にあるとは思っていなかった。
ところが、わが久留米は私の知らないところで、そんなことをもう随分昔からやっていたらしいのである。「お肉問題」のとき、馬肉の薫製の話がでたり北関東や東北での馬肉に関するメールがきてもどこか遠い話のように思っていたが、何と私自身が馬肉文化地帯のど真ん中で生まれていたのである。
その事実を突きつけられて私は軽いめまいに襲われた。
「馬モツの焼き鳥」は久留米の食の方言と言えるだろうが、私はいったいどうしてそのことに今まで気づかなかったのかという後悔にも似ためまいであった。そのとき撮ったダルムやセンポコの写真がことごとくピンぼけになっているのは、私の全身が驚愕(きょうがく)に震えていたためである(多分)。
ここでデスク乱入 「その時、野瀬の手は震えていた」――。こう言うとなんかかっこいいけど、ホントはもう世界がグールグル回っていたんじゃないですか? 焼酎のせいで。
野瀬 どうしてわかったの?
味について書いておこう。タンは牛のそれと違ってフワフワ。塩を含んだ肉汁を舌に転がせば「フォアグラの遠縁?」。ダルムはかすかな脂身をはらんで噛むほどに深い味わいが広がる。センポコはコリコリながら場所によってコリコリ度が違う。私の歯でも歯が立った。歯が丈夫な人には野味とも言うべきこの味覚はたまらないであろう。
それはともかく、ひょっとするとこの秋、小規模ながら筑後川河川敷で鳥焼き大会が開催されるかもしれない。参加人員がたとえ1ケタであろうとも九州最長の筑後川のほとりで鳥焼きの煙が上がるのであれば参加する予定である。東北の芋煮会にも乱入予定なのでこの秋は忙しいのである。仙台のY・Kさん、そのときはよろしく。
本題に入る前に先週紹介できなかったメールを。
丼もののつゆが多すぎるとのご指摘、まことにその通りでございます。食べ終わった後、丼の底をのぞくとつゆがたっぷり残っているのでございます。兵庫県出身者には多すぎても九州人には多すぎないのでございます。
豚まんは酢醤油で食べるのでございます。私も東京であろうと北海道であろうと豚まんを食べる際には必ず酢醤油をたっぷりと用意するのでございますよ。ごめんね。大阪では豚まんの腹の薄皮を少しひっぺがして、そこからソースを注入して食べる人も多いのですが、私はどうしても酢醤油しか使わんとよ。
広島には近く行く予定が入っています。その店の名前やなんか教えてください。ほかのお客さんが大騒ぎもせずにどう拷問に堪えているのか、じっくり観察してみたいものです。なぜこれがサービスなのか。店側の論理も知りたいですね。でもその論理、理解できるか不安。
私が教わったのは三林さんからでした。そこで私は「三林式」と呼んでいますが、食べ物や飲み物は誰が最初に始めたかというのがわからないのが普通です。
自分のオリジナルと思っているものが実は別の場所、人がすでにやっていたとか、自分では普通だと思っているものが逆にオリジナル性が高かったりします。ですから料理には特許がないのです。従ってシンガポールの金魚割りはシンガポール式でも誰々式でもいいのではないかと思います。でも、偶然ですね。
「煮抜き」問題が積み残しになっていた。
これで決まりですね。固ゆで卵のことでした。古い言い方のようです。なにわのぷーさんも書いておられるのですが「煮」はわかっても「抜き」がわからない。何を抜くのでしょうか。
さて本題のあの物件である。集中的に紹介するが、同じ地方でも意見はばらばらだったりする。
愛媛では冷やし中華派と冷麺派がおられます。大阪では冷麺とは言わないぞというご意見もあります。私が体験した中ではっきり記憶しているのは京阪樟葉駅前の樟葉モール内中華料理店。「冷麺」というメニューで、ガラスの器入り真性冷やし中華でした。このとき初めてマヨネーズ入りを味わいました。時の流れとともに冷麺という呼び方が駆逐された可能性もあるので、大阪についてはもう少し様子をみたいと思います。
北海道は「冷やしラーメン」でよさそうです。ではスープを張った「冷やしラーメン」発祥の地、山形では何と呼んでいるのでしょうか。それとも物件自体が存在しないのか。盛岡の「冷風麺」も決まりでしょう。
九州は確かに冷やした麺類そのものが多くありません。真夏でも汗をかきながら熱いラーメンやチャンポンをすすります。久留米で冷やし中華を探しました。でも見た限りのラーメン屋さんにはありませんでした。駅ビルの中華専門店で見つけましたが、メニューは「冷やし中華(冷麺)」とただし書き付きでした。福岡市では博多駅地下の食堂街で「冷麺」の看板を発見し、中に入ると壁に「冷やし中華」と書いてありました。どっちだー。博多出身の同僚に聞いたところ「博多は冷麺です。冷やし中華という言葉はしりませんでした」と言っておりました。
ところで久保さん、39度も熱があるのにメールをくださってありがとうございます。「ホッカイドーの冷やしラーメンのことを書かねばー」という執念がヒシヒシと伝わってきました。お大事に。
あの物件にマヨネーズを入れる(つける)かどうかについて、以前中部地方にある弊社支局に電話で尋ねたことがある。電話に出た地元育ちの女性アシスタントは「ええっ、よそではマヨネーズはいれないんですかあ?」と驚いていた。以来、私は中部地方こそ、あの物件をマヨネーズで食べるエリアではないかとにらんできたが、補強材料が現れた。
このサイトのVOTEは「日本の標準」の投票総数の10倍を軽く超えています。今度はもっと精度の高い結果が出るでしょう。その際、福島、山形がどういう動きを見せるか。楽しみです。
芋煮会の火がまだ消えない。
やっぱ、筑後川の鳥焼き大会を何とか実現せんといかん。
ほら、みらんね。北海道でんジンギスカンば河原でしよるやんね。どげんしても筑後川で煙ばもうもうと上げんといかん。
東京の居酒屋におけるチューハイ系飲み物の台頭が著しい。ビールの客とチューハイ系の客が拮抗(きっこう)しているのである。中でも甲類焼酎を烏龍茶で割ったウーロンハイ、緑茶で割った緑茶ハイ(玉露割りという店もある)の勢いは止まらない。
北海道では昔から甲類焼酎を番茶で割る飲み方があるようだが、東京も急激に甲類焼酎地帯になりつつある。大阪でもウーロンハイは珍しくなくなったが、なぜか甲類を使うところは少なくて乙類が主流なのである。九州に行くとウーロンハイにはなかなかお目にかかれない。ソフトドリンクの欄に烏龍茶があれば作ってくれるが、やはり乙類になる。私はウーロンハイ専門である。緑茶割りも好きである。家では冷たいお茶で甲類焼酎を割って飲んでいる。
で、何が言いたいかというと、特に言いたいことはないのである(c)赤瀬川原平
(特別編集委員 野瀬泰申)
[本稿は2000年11月から2010年3月まで掲載した「食べ物 新日本奇行」を基にしています]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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