すき焼き鍋に脂身の残骸 家族で奪いあったあのころ…
すき焼き(3)
お父さんを除く我が家ご一行様が春休み旅行を敢行した。行き先は台湾。香港や広東でSARSがはやっているのになぜわざわざ現場近くの台湾に行ったのか。それはすばり国内旅行より安かったからである。
お土産は現地のコンビニで売られているチープなお菓子類。免税店では決して手に入らない台湾バージョンのベビースターラーメンとかグミとかミントとかポッキー似のお菓子とかをわんさか買ってきた。
愚息はこれに加えてホテルに置いてあった歯ブラシや櫛(くし)もお土産袋に入れたのだった。そればかりか台北の牛野家に入り、トレーに敷いてあった紙や割りばしまで持ち帰ったのである。
愚息のお父さんへのお土産は写真である。「お父さんはこういうのが一番いいんだよね」とは敢えて口に出さず、黙ってデジカメで撮った写真を見せた。その顔に薄い笑いが浮かんでいるのを私は見逃さなかった。
「どれどれ……ほう大阪焼か。大阪煎餅と同義ね。お好み焼きのことなんだよ」
「行く前に、お父さんにそう聞いてたから店に入ったんだよ。そしたら、お好み焼きのくせして四角いの。大きな丸いお好み焼き作っておいて四角に切って出してたみたい」
「そんなことして角が立たんのか」
「……」
「台湾の牛野家は牛丼もありますって感じだろ?」
「そうそう。ボクはカツ丼が食いたくて、それらしいものを注文したらチキンを煮たもので、しかも甘ーいたれがかかっていて、あんまり甘いものだからセットでついていたレモンティーを飲んだらこれがまた甘くて。台湾は甘ーい」
「トンカツとチキン煮を間違えたおまえも甘い」
「……」
「このメニュー看板は?」
「とんかう定食が面白かった」
「つの上にてんを打っちゃったのか」
「それとこのアムうイスは最初読めなかった」
「アムうイス?」
「オムライスのことらしい」
「おー、外国人にはうとラの区別がつかんのも無理はない。アとオも似てるなあ確かに。『焼うどえ』というのもあるな。考えてみると『ん』と『え』の下半身がそっくり。気がつかなかった」
「そんなことに今ごろ気がついてどうするの、お父さん」
「気がつかないより気がついた方がいいんだ、とりあえず」
「ところで、うどんて烏龍麺て書くんだね」
「でも烏龍茶に入ったうどんじゃないんだぞ」
「わかってるよ」
「うどんをウーロンとかウロンて発音するんだな、きっと。大阪ではきつねうどんをけつねうろんて言うし、博多にはかろのうろん屋(角のうどん屋)というのもあるから、これでいいんだ」
「お父さん、このお土産うれしい?」
「う、うれしい」(文末に続く)
ご安心ください。まだやってません。今夜やるかしれませんが。それにしてもきっぱりと反ジャガイモ派なんですね。それに「白ネギと言われたくない」と、またきっぱり。なんか「長ネギの主張」を代弁しているみたいですね。
煮詰まると何を足すかという問題がありますが、上水さんの場合は出し汁ですか。ところで「口の中で鉄砲になる」というのは、かむとネギの中身が飛び出すということですよね。
それはすき焼きのふりをした酒蒸しです。酔います。
偏食アカデミーにあっては過去に海外取材網を動員し「外国で出ているトホホ系和食」を調査研究したことがあります。某国の例。「みそ汁を注文すると何も入っていない汁椀が出、よく見ると身と味噌が別皿に盛られている。適当に入れてお湯を注げということらしい。
その身というのがキュウリ。キュウリの味噌汁飲ませるなー」というリポートが届きました。別の国からは「カツ丼を頼んだ。溶き卵の中にニンジンの刻んだやつやコーンが入っていた。ここまでは許せるが、ご飯がチャーハンだった。泣いた」という報告も寄せられました。でも「リレーのバトンのような形に膨れる小麦粉系カニかま」という強力な事例は初めて耳にしました。外国で暮らすって大変ですね。
日本でも似たようなことがないでもありません。中央線沿線の某駅前で「久留米ラーメン」の看板をみつけ、いそいそと入りました。メニューの中心は沖縄料理の店なのですが、久留米ラーメンもいけますよというようなウリでした。カウンターだけで厨房は丸見え。マスターの手元を見ていたら「久留米ラーメン」と書いたインスタントラーメンの袋をやぶいたので「ああ、今夜はなかったことにしよう」とその時点で諦めたのです。忘れるつもりでした。
ところが出てきたラーメンの丼の中身を見て、一生忘れられない一夜になってしまいました。何しろ刻んだてんぷら(薩摩揚げ)とモヤシが入っているではありませんか。「久留米のラーメンにそげなもんば入れたらいかーん。沖縄そばじゃなかとよー」と心の叫びをあげた私の両の目から涙がこぼれたことは言うまでもありません。泣いたと。泣いたとよ。久留米ラーメンにはてんぷらはもちろんのこと、モヤシも入らないのです。
私はこういう事態に遭遇した場合に備えて「チャブニチュード判定表」というものを持ち歩いています。「チャブ台をひっくり返したくなる怒りの5段階強度」で表します。
チャブニチュード1 2度と来るものかと思う
チャブニチュード2 あの店はひどいぞと、知人に言いふらしたくなる
チャブニチュード3 新聞の投書欄に「ひどい店がある」と投書したくなる
チャブニチュード4 悔しくて眠れなくなる
チャブニチュード5 店に向かって大きな声で「ばかばか」と言いたくなる
この店は迷うことなくチャブニチュード5との判定が下りました。でも店の前では言えなくて、電車に乗ってから小さな声で「ばかばか」とつぶやきました。この判定表は拙著『秘伝「たこ焼きの踊り食い」』で提唱し広く世間の理解を求めたのですが、いまのところ全く理解を得られておりません。
えしょさんも書いておられるように、肉が貴重品であった時代ではこの「脂」こそ肉の醍醐味だったような気がします。私も子供のころは大好きでした。
食べ物というのは個人史そのものでもありますから肉の一片、豆腐のひとかけ、そしてふやけてしまった脂身の残骸さえ記憶に残っていることがあります。いいところに目をつけられたと思います。名古屋に単身赴任されたパートナーはお元気でしょうか。
名古屋といえば「オーキッドらん」さんから「名古屋駅に近いとある店に入ったらパスタの量がスナック(S)、レギュラー(M)、ジャンボ(L)、キング(LL)に細かく分かれ、普段は東京で小盛りでいいから100円引きしてくれーと思っているので、ありがたかった。
そばの喫茶店でも白パン、麦芽パンを選べるサービスをしていた」という趣旨のメールをいただきました。そうです、これこそ名古屋の「お値打ち主義」の一端です。究極のコストパフォーマンス都市なのです。
うちもそうですが、最初に牛脂なりサラダオイルで脂を敷き、肉を焼いてから仕事を始めるというのが標準型ではないでしょうか。豚肉でも同じだと思いますが。
いや、でも割り下を使う場合は最初に割り下を煮立たせて肉を煮るのかな? 我が家では割り下を使わないのでよくわかりません。日本酒やビールや水や砂糖や醤油なんかを適当に入れ、要は甘すぎず辛すぎずというところに落ち着けばいいや、というような軽い気持ちでやっております。軽い気持ちですき焼きに臨んで申し訳ありません。
我が家のすき焼きには絶対高野豆腐は入りません。でも、麩は入れます。おいしいですね。高野豆腐もよさそうです。今度やってみます。でも、こう書くとジャガイモみたいに「それだけはやめてくれ」というメールが来るかもしれませんが。
すき焼き以外のメールを少し。
多分、愛媛県今治市で戦後に生まれた「せんざんき」と同根の食べ物でしょう。「せんざんき」は骨つき鶏にショウガ、ニンニク、醤油、酒、各種スパイスで下味をつけ、かたくり粉と卵をまぶして揚げたものです。見かけは空揚げに似ていますが、下味が複雑で食べると違いがわかります。地元では略して「ざんき」と呼ばれています。
これが北海道に伝播する際「ザンギ」とカタカナ書きになり、語尾が濁ったのではないかと思いいます。「せんざんき」の語源ははっきりしませんが、初めてこの食べ物を出した店の主人が旧満州からの引き揚げ者であったことから「軟炸鶏(エンザーチ)」説が有力です。私も今治に行ったとき、鉄板焼き鳥とともにこの物件を実食しました。ぴりっとした味で、ビールに合いました。
非甘味的人生を送っている私としては、とくにコメントはありません。
栃木県周辺だけで偏愛されているキノコです。栃木県向けの選択肢です。気になさらないでください。
「ヌーヤル」ってどういう意味か現地で聞いてみてください。微笑を保証。
最新の三林京子さんの「ああ書けば、こう食う」は猪肉のすき焼きと「鮭缶白鍋」。鮭の缶詰めで鍋物を作る方法があるなんて思ってもみなかった。これは試してみる価値がある。
台湾続き。
「せがれよ、この『愛の小吃店』ってなんだい」
「いやべつに、ただ面白いかなと思って」
「この看板のえも言われぬ魅力に気がつくなんて、いいセンスしてるじゃないか。お父さんと同じ道を歩もうとしているのかな」
「いや、そんなことは……」
「ただの観光客はこんな看板の写真ばっかり撮ってこないぞ。やはりお父さんと同じ道を……」
「そんなことないってば。絶対ない」
「まあいいだろう。ゆっくり自分の生き方を考えなさい」
「お父さんが食品サンプルとか看板の写真を撮るのって、お父さんなりの『生き方』だったの?」
「ある意味で」
「……」
「ところで、お父さんはこの『しゃぶしゃぶ 東京都』というのが一番気に入った。よく見つけたね。ほめてあげよう」
「うれしくない」
「『しゃぶしゃぶ東京』ならいかにもありそうだが、丁寧に『都』という行政単位までつけたところが正確でいい。日本人なら思いつかない。たこ焼き大阪風とか、ジンギスカン北海道風なら当たり前。これをたこやき大阪府風というとちょっとずれる。ジンギスカン北海道風も……あれ北海道には初めから『道』が入っているじゃないか。しゃぶしゃぶ東京都と同じではないか。妙なことに気づいてしまった」
「お父さん、もう寝よう」
「はい」
(本当にこんな会話を交わしたなんて思わないで下さい。少しは交わしましたが)
(特別編集委員 野瀬泰申)
[本稿は2000年11月から2010年3月まで掲載した「食べ物 新日本奇行」を基にしています]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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