北海道の赤飯はなぜ甘いか? そのルーツが解明された
日本の甘味処(2)
今週はどんな話から入ろうかと考えたが、ハイシャがシカイシしたりするような話を書いているバヤイではないことに気がついた。メールの束がドーン。しかも長編力作が多い。これ紹介するの大変だぞってなわけで、今週は直球勝負なのである。
甘あー。
あ、甘あ~。
うわっうわっうわっ。
私が徳島で話を聞いた人は地元タウン誌の編集者だったのですが、その人は鳴門出身だったのでしょうか。字が違えば食べ方が違うなんて、凄いですね。私は「日常の食べ物は保守的である」と思っていますが、ここまで保守的とは……
醤油味の赤飯? 四国の松山で「しょうゆ飯」という駅弁と遭遇したときに匹敵する衝撃。あー、びっくりした。
コメントが短いことにお気づきと思う。短いのである。昨夜の念入りな点滴のおかげで根性は入っているのだが、気力が……。気力なき根性というものがこの世に存在するとすれば、今はその状態。
「心太」は「ところてん」と読みます。「しんた」「こころぶと」と読みたい人も、今日だけは「ところてん」と読んでください。「こころぶと」を「こころてい」と読んだものが「ところてん」に転化したという説があるそうです。「えら甘」は「えらく甘い」という意味だと思います。
ところてんと言えば三林京子さんが「ああ書けば、こう食う」の中で衝撃の秘話を明かしている。ここにその内容を書くわけにはいかないが、一読爆笑必至的内容である。
それはともかく、気力なき根性状態のときには、このような読者のご意見が非常にありがたい。
歴史と情報の伝播。つまり縦糸と横糸である。
私はこのコラムのどこかで食べ物と時間、食べ物と情報伝達ということに触れなければと思い、一方でそんなこと書くなんてちょっと偉ぶってない?という内なる声もあって躊躇(ちゅうちょ)していたのだが、図らずも読者からご指摘をいただいた。
以前、西日本に鶏肉を偏愛する都市が点在しているのを発見したとき「なぜ、豚肉や牛肉ではなく鶏肉なのだろう」と考えた。その折の結論はある時代にある街に空揚げ(中津)とか焼き鳥(今治)とかチキン南蛮(宮崎)、とり天(大分)とか、せんざんき、骨つき鳥(高松)といった料理が生まれ「鶏肉はおいしい」という概念ができあがった。その後豚肉や牛肉が手に入るようになっても「鶏肉はおいしい」という概念を壊せなかった。つまり「記憶の固定」が起きたのではないかというものだった。
甘いものも「甘味=高価」「甘味=ハレ」という「記憶の固定」があって今日に続いていると考えたらどうだろうか。豊下さんのご指摘の通りと思う。
食べ物は情報の一面を持っている。情報は伝達される。海上輸送のルートが北海道赤飯の伝播ルートであった可能性は高いと考えられる。
で、北海道式赤飯の考案者が判明した。なぜ判明したかというと「新宿の安倍(このアベが正解)さんがなぜK短大としたかは不明ですが、光塩学園女子短大のことです」(久保さん)、「札幌市にある光塩短大です!ホームページの中に書かれています」(大石さん)というメールをもらったからだった。うーむ、前回アベさんの字、間違えていたのである。ごめんなさいなのである。
光塩学園女子短期大学のHPにアクセスし「沿革」を開く。書き出しにこうある。
「あなたは、甘納豆入り赤飯をお好きですか。小豆ではなく、甘納豆の入った赤飯は家庭でも作られ、お店でも売っています。でも、この甘納豆入り赤飯が北海道特有のものだと知っていましたか。実は、この甘納豆入り赤飯を考え普及させたのは、本学初代学長の南部明子先生なのです」
そして昭和32年にHBCテレビ(北海道放送)が札幌に開局し、その直後から南部先生は料理講師としてレギュラー出演とある。同局のラジオ放送は5年前の27年に始まっているから、ラジオで作り方を紹介したのが発端なら、もう半世紀前に北海道式赤飯は誕生したことになる。
それが道内に伝播し、さらに東北に伝わったと思われる。道内にも東北にも小豆を使った従来の赤飯文化が存在しただろう。既存の文化にかぶさるように甘納豆赤飯が普遍化していった過程は現時点ではわからない。普通は衝突や混交が起きるものだが、その形跡は果たして残っているのだろうか。興味深いテーマではある。
赤飯ではないが、ひとつの食べ物に関する異なった文化が衝突したらどうなるか。こうなる。
めでたしめでたし。
話は一転して「ちょっと待ってくれメニュー」。
キャベツ+玉子焼き+トマトということだそうですが、何ですかこれ。これを一緒ぐちゃぐちゃにして焼いたものですか? それとも卵焼きでキャベツの千切りやトマトをくるんだものですか?
私は都合3回計7年半ほどを大阪で過ごしましたが、こんなもん知らへんで。何やのん、これー。ひょっとしてアメリカ村で食べはったんとちゃいますかあ? あそこ、アメリカとか言うてるけど、むちゃくちゃ大阪でっせ。何しろたこ焼きを2枚のせんべいで挟んだもんとかが名物っちゅうくらいのトコやさかい。うー、大阪弁のマネは苦しい。
久留米弁でいくたいね。そーねー、そげなもんば食べなさったと? 悲しかねー。可愛そかねー。おいしかったね? おいしかったかも知らんばってん、びっくりしなさったやろうねえ。私もびっくりしたもん。知らんやったあ。そいけんあんた、語源やらなーんわからんとたい。以上。
目の前に大根とおろしがねが出てきたら、いきなり「店を手伝ってくれ」と言われたと思いますよね。人の分まで大量に大根おろし作ってしまいますよね。究極のセルフですか。
メールに書かれているように、讃岐のうどん屋の中にはネギを客が自分で刻む店があります。でも、讃岐のセルフの源流は製麺所に客が「食わせろ」と押し掛けた結果、製麺所が「食いたきゃ勝手に食え」ということで始まったということです。
うどん玉を自分で温めたり、つゆをタンクから注いだりといったことは当たり前です。でも、私は高松のセルフの店でタンクの栓をひねって自分の丼につゆを注いだときには感動しました。なぜ感動したのか、今となってはわかりませんが。
外国在住の方からのメールがとっても多くなった。ニホンノーカテイノーアジガーナツカシイデスカー?
難しい「斎」の字が出なくてごめんなさい。漢字検索すれば出るんですが、さっき言ったように気力なき根性状態なもので、つい手抜きしてしまって…。アメリカのラーメン人気なんて、テレビの番組になりそうですね。もうなってるのかな?
私が入社して大阪本社勤務になったとき、このような習慣が喧伝されることはありませんでした。その後11年を経て再び大阪勤務になったとき、すこし話題になっておりました。4年前の3度目の大阪勤務時代、コンビニに「恵方(えほう)」が掲示され太巻きが大々的に売られておりました。
お寿司屋さんやスーパーやコンビニにとってはこの習慣が広がってほしいでしょう。広がってほしいと思いますよ。言おうとしていることわかりますか?
ゆで卵って熱い状態で痛いところをスリスリするんですか? 冷たくなってもいいんですか? 堅ゆでと半熟とどっちが効果があるんでしょう。蛙の身入りおかゆを食べると子供が飛んだり跳ねたりするようになるんでしょうか。コメントに困ると質問攻めにすることにしていますが、これでいいんでしょうか。
ちょっと説明させてください。二つの卵焼きを別の食べ物として区分しているのではなく、同じ卵を焼いた料理の傾向を甘さという尺度で比較しようという趣旨です。もちろん、関西のだし巻きに全く甘みを加えていないとは言っておりませんし、関東の厚焼き卵がまったくだしを加えないと断定しているわけでもありません。傾向です。どっちに偏っているか。嗜好といってもいいかも知れませんね。
大阪の飲み屋には「だし巻き」というアテ(酒の肴)が普通に存在しますが、東京では見掛けません。大阪の食堂には「だし巻き定食」がよくありますが、東京では見掛けません。これは、少なくとも大阪のだし巻きが昆布を中心としただしのうまみを強調したもので甘みがほとんどないから酒の肴になったりご飯の友になるのです。
正確に言うと、大阪のだし巻きもほのかに甘い。ほのかに甘いですが、甘くはありません。牛見さんがお書きになっているように、今回の調査でその境界線や飛び地がみつかると面白いと思っています。
いつもメールを下さる愛知県知立市の学生さん。名古屋情報をやろうと思っていましたが、来週まで待ってください。「あんバタ」情報も来週です。
ううー、気力が尽きようとしている。気力のライフゲージが無くなるすんぜんだあ。すんぜんを漢字に変換する気力もないほど気力がなくなった。考えてみたらいつもより400字詰原稿用紙換算で5枚も多く書いてしまった。どうしてこうなったのだろうか。♪なんでだろーおなんでだろーっと。こうなったら点滴打つしかないか。
「飲むまいと思う心も日暮れまで」(泰申)。もう一句。
「春雨が頭皮にしみる五十路かな」(泰申)。これ、三十路でも四十路でも使えますから便利ですよ。みなさんも使ってください。いや?
(特別編集委員 野瀬泰申)
[本稿は2000年11月から2010年3月まで掲載した「食べ物 新日本奇行」を基にしています]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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