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私の履歴書復刻版

焦土――土地の買収で再出発 恩人久原房之助氏が助言 日清食品創業者 安藤百福(6)

2014/4/10

終戦の翌日、家内の仁子(まさこ)と2人で疎開先の兵庫県上郡から汽車に乗り、大阪に様子を見に出てきた。大阪駅に立つと、御堂筋沿いに焼け残った大ビル、ガスビルなどが見えた。ほかは一面、瓦礫(がれき)の山である。

仁子と結婚(京都)

難波のあたりまで一望でき、奈良の方を見れば生駒や葛城の山々がすぐ近くに映った。難波からさらに南の大国町あたりへ行くと、道端にまだ焼けた遺体が散乱していた。3月13日の大阪大空襲で、私の事業の中心だった唐物町の事務所や、天王寺勝山通りにあった航空機部品工場は灰になってしまった。

家内は「どうなるのでしょうね」と不安げだった。家内とは戦時中、井上元陸軍中将の紹介で知り合った。福島県で生まれ、大変義理堅くやさしいこの女性に、私は一目ぼれしてしまった。戦時中、いろいろ心配をかけたが、戦後も私の人生の浮き沈みで、相当な苦労をかけることになる。

焦土に立って、私自身もこれから何をしたらいいのかわからず、途方に暮れた。そこで実業界の大先輩の久原房之助さんに相談することにした。戦前戦後を通じて、私は親しく相談できる友人、知己が何人かいた。久原さんもその一人である。人の縁が、私の人生の節目節目を支えてくれた。

話はさかのぼるが、私がまだ若いころ、総理大臣の田中義一さんのご自宅に伺ったことがある。当時、司法書士をしていた叔父が田中さんとお付き合いがあり「お前も商売をやるなら顔が広い方がよかろう」と誘ってくれた。東京の青山にあった田中邸の門をくぐった。

叔父はさすがに総理の前に出ても堂々としていたが、私はまだ青二才である。相手は旧長州藩士の家に生まれ、陸軍大将になった軍人。恐ろしくて一言も口をきけなかった。当時、東京帝大の学生だったご子息の龍夫さんを、その時初めて知った。

田中龍夫さんは私と同じ1910年(明治43年)生まれ。同年齢で気が合った。東京に出るたびにご自宅に伺うようになり、やがて家族ぐるみのお付き合いとなった。貴族院議員、山口県知事から衆院議員になり、総理府総務長官、通産大臣、文部大臣などを歴任された。

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