働き方・学び方

私の履歴書復刻版

商売への興味――祖父の仕事見て学ぶ メリヤス販売創業し独立 日清食品創業者 安藤百福(2)

2014/3/27

私が生まれた1910年(明治43年)は何かと騒がしい年だった。ハレーすい星が地球に接近するというので、パニックが起きていた。日本は韓国を「併合」して軍事大国の道を歩もうとしていた。幸徳秋水が大逆事件で逮捕された。歴史は激しく揺れ動き始めていた。

私が幼少期を過ごしたのは、台湾の台南県東石郡朴子街という町である。日本が台湾を領有してから15年たっていた。内地での騒々しい雰囲気も、さすがにこの静かな小都市までは伝わってこなかった。

私は幼いころに、両親を亡くした。父は相当な資産家だったらしい。兄が2人、妹1人の4人きょうだいが残された。私たちは祖父母のもとで育てられた。祖父の仕事は繊維や織物を扱う呉服屋さんだった。しつけは厳しく、物心つくころには、掃除から炊事、洗濯、雑用まで何でも言いつけられた。それが商家の教育法だった。

家は大家族で、食事時になると、ひとつの丸テーブルに並びきれないぐらい大勢の人が集まった。店のほうも、活気にあふれていた。商人たちが出入りし、織物の荷受けや出荷をする人の、威勢の良い声がした。子供心に、商売はおもしろいなと思った。

暇があると店へ出て、半日でも大人たちのやり取りを眺めていた。大きな五つ玉のそろばんを触るのが好きで、早くから足し算、引き算、かけ算ができた。数字に異常な興味を持っていた。のちに私が繊維関係の会社を興して事業家の道に進んだのは、少年時代のこんな経験があったからである。

私は独立心の強い子供で、小学校に行くようになると、まだ暗いうちに起きて、自分の朝食と弁当を作り、それから登校した。両親がいなくてもまっとうに育つことができたのは、祖父母の厳しいしつけのたまものと感謝している。

学校時代の友人に、東石郡守の息子がいた。森永さんという名前だった。私の家が学校から遠いのを気遣って、自分の家から通学してはどうかと誘ってくれた。それで、書生のような格好で住み込んだ。もっとも、書生といっても熱心に勉強した記憶はない。

学校を卒業すると、さっそく祖父の仕事を手伝った。私は義務教育を受けただけで何の学問もないが、商売の取引を通じて実に多くのことを学んだ。取引とは、取ったり引いたりするもので、取りすぎて相手を殺してしまっては元も子もない。そんな商売の機微を、若いときから身につけていたように思う。

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