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私の履歴書復刻版

会長就任――ラーメンの源 探る旅 中国全土、300種類食べ歩く 日清食品創業者 安藤百福(27)

2014/6/26

1985年(昭和60年)、経営陣の若返りを図るため、息子の宏基に社長の座を譲り、私は代表権のある会長として残った。社長は37歳だった。社内にも多くの人材が育っていて、世代交代を考える時期にきていたのである。幸いまだ私は元気だったし、経営に目が行き届く間に現場を譲りたかった。

中国山東省の一般家庭でめんを打つ筆者(2000年)

社長は自らを「門前の小僧」と言い、幼いころに私の開発作業を手伝って、創業に立ち会ったことを誇りにしてくれている。即席めん事業の経験は社内で一番長く、ずっと新製品開発の陣頭指揮をとってきた。私の苦労を見て育ったことが経験として身に付いているのだろう。

世襲制については賛否両論があるが、私は特にこだわらない。器にあらざる者をその器に据えると、本人も周囲も不幸になる。もし優秀な人材がいるなら、いつでも登用するのにやぶさかではない。

さて、一段落した私は、食の世界に身を投じて以来、ずっと気になっていた郷土料理を探訪する旅を始めた。日本人は何を食べてきたのかを調べたかったのである。仕事いちずで旅行をする機会も少なかったから、行く先々で味わう料理は新鮮で、食品開発の参考になった。

特に全国至る所で出合った自慢のそばや豆腐料理には、生活のにおいがあふれていた。熊本に伝わる「豆腐のみそ漬け」はチーズのような味わいの発酵食品だし、長野県松本市の「凍豆腐(しみどうふ)」は、豆腐を冬の軒下につるして乾燥する保存食で、炊くとすぐに軟らかくなる立派な即席食品だった。

人間は昔から生きるために食べ物の保存に心血を注いできた。そこから加工の知恵が生まれ、料理の工夫が始まったのである。その中で体に良いものが伝えられて郷土料理として残っているのだと思う。

北海道から沖縄まで4年間にわたって食べ歩くうち、多くの食の研究家と知り合った。尚弘子琉球大学教授(当時)や、鹿児島の今村知子さんらとは再三お目にかかりご高説をうかがった。

日本列島を一回りした後は、いよいよラーメンのふるさとを訪ねたいという気持ちになった。私はめん類を「加工食品の最高傑作」と思っている。一体いつ、だれが、どこで、ラーメンという不思議な食べ物を生み出したのだろうか。そんな疑問にとらわれて中国に旅立った。

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