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私の履歴書復刻版

小学生のころ――機械いじりが大好き 母の再婚で祖父母のもとに ソニー創業者 井深大(2)

2012/4/12

幼稚園から小学校1年2学期までを過ごした東京の生活は、どういうわけか強く印象に残っている。かなり昔のことになったが、目白の付近をあちこち遊んで歩いた印象がはっきりと頭に残っている。当時の同級生には自由学園の羽仁恵子園長や小布施証券社長の小布施新太郎君らがいたが、小布施君の家は大きな邸宅で、広い庭があり、よく遊びに行った。

筆者9歳のとき(左端)右から母、祖父、祖母

1年3学期のとき母方の祖父が病気になったので苫小牧の小学校に転校したが、工藤という校長先生にかわいがられた記憶がある。よくビール箱でこしらえてもらった橇(そり)を女中に押してもらって通学したものだ。この祖父は長く苫小牧で郵便局長をやっていたが、6万6000平方メートル(2万坪)の土地を全部で5円ぐらいでいやいやおしつけられて買った。ところが後に王子製紙ができてその土地が目抜き場所になり、大地主となって一生を終わった。北海道で数ヵ月を過ごしてから、小学校2年生のとき再び愛知県の祖父母のもとに帰ったが、間もなく母は神戸の山下汽船の課長をしていた人と再婚した。それまで私は母の愛情につつまれ平和に暮らしていたが、母の再婚で断ち切られ、祖父母の手で育てられることになった。

祖父は厳格な人だったが若いころフランス人に兵学を習ったくらいで、新しいところのあるおもしろい気質の持ち主だったから決して住みずらいということはなく、父に代わる愛情があった。祖母は母に代わっていろいろいたわってくれた。それでも母のいないことはなんとなく子供心にも孤独感に襲われることもあった。

幼いころ親類の家に遊びに行って金びょうぶに大きな絵を描いて大騒動を起こしたこともある。このときばかりは祖父から大目玉をくった。心から甘えることのできる両親がいなかったので、それ以来、そうしたあくどいいたずらはいっさいやめた。

祖父はおりにふれ、なくなった父がいかに科学的であったかを語ってくれた。私の科学に対する興味はこうした生活環境や父をしのぶ中から芽ばえていったのではなかろうか。そのころはなんでも機械をいじっているのがいちばん楽しいときであった。東京にいたころ友だちの家に洋行帰りのその父が買ってきたメカノという組み立てのおもちゃがあった。その家の人たちが組み立てられずにそのままほうってあったのを私が組み立て、褒美(ほうび)にそのメカノをもらったことがある。こんなこともいろいろな役に立ったと思う。

2年生のとき、町の時計屋に電鈴を売っていたが、これがほしくてたまらず、祖父にねだってベルと針金、乾電池など一そろいを買ってもらった。金額は覚えていないが子供のおもちゃとしては高価なものだったろう。針金をうんと長くのばすと電池が1.5ボルトだけなので鳴らなくなるのが子供心にはどうしてもわからなかった。電池の両極を針金でつなぐと火傷(やけど)をするほど熱せられることも覚えた。緑色にピカピカ輝いていたコイルもしだいに分解され、隣家の友だちの家との間の電信機に化けた。モールス符号などは知らないから勝手に暗号を作ったこともある。

当時の自転車にはアセチレン・ランプが付いていた。そのランプの構造が知りたくて、分解しようと思っていじっていると、何かの拍子で爆発し、すんでのところで大けがをするところだった。大きな爆発音に肝をつぶしたが、それがさらにそうしたものへ興味をわき立たせていった。

東京にいたころ母は毎日曜日のように博覧会や博物館などに私をつれていったが、そのころが私にとっていちばん恵まれていたときである。そのころ幼い頭に植えつけられた科学への芽ばえが、私の一生涯の職業を決める一つのチャンスになったと思っている。

安城には日本農業の先覚者である山崎延吉氏がおり、日本のデンマークといわれ、比較的文化の進んだところであったが、なんといっても農村である。田畑が多く、家の付近も、学校へ行く道の両側も、延々と続く田畑が広がっていた。

小学校では字はへたであったが、成績はたいてい1番だった。習字や国語はきらいだったが、算数や理科は好きで、いい点をとっていた。祖父が郡長をしているとき1番をとり、郡長賞を祖父の手からもらったことが記憶に残っている。

小学校の2、3年生のころ婦人画報や菊池幽芳の「己が罪」「お夏文代」徳富蘆花の「思ひ出の記」などをむさぼり読んだが、いまから考えるとかなりませた子供であったわけだ。安城の小学校では1年上の神谷隆三君(現知立高等学校校長)らとよく遊んだが、同級生には安藤仁君が印象に残っている。

5年生から中学にはいろうとして勉強したが、いなかのこととてとても無理だった。

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この連載は、昭和37年12月に日本経済新聞に連載した「私の履歴書」および「私の履歴書 経済人 第6巻」(日本経済新聞出版社)の「井深大」の章を再掲したものです。毎週月曜日と木曜日に更新します。文中には今日では不適切とされる表現や行為の記述などがありますが、作者が故人であり、作品の発表された時代的・社会的背景も考慮して、原文のまま掲載しました。

[日経Bizアカデミー2012年4月12日付]

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