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タイトルの「クアトロ・ラガッツィ」とは「4人の少年」のこと。16世紀に日本に来たヨーロッパのキリスト教宣教師と、日本からヨーロッパに向けて旅立った日本人宣教師たちの話です。

原マルティーノ、中浦ジュリアン、伊東マンショ、千々石ミゲル。日本史の授業で習う1582年の天正遣欧少年使節団です。意味も文脈も分からずに、テストのために年号と名前を暗記した人も多いことでしょう。

一橋大学大学院教授 楠木建氏

一橋大学大学院教授 楠木建氏

歴史ノンフィクションである「クアトロ・ラガッツィ」は、時間的にも空間的にも今日のビジネスとは一見無関係に見えます。しかし本書は企業経営のグローバル化を考えるうえで重要な洞察を与えています。

本書が描いている16世紀の日本に来たカトリック宣教師たちの経験は、グローバル化への挑戦の究極の事例といえます。この事例研究から今日の日本企業のグローバル化とその経営について、彼らの成功と失敗の体験から驚くほど多くの示唆が引き出せるのです。

グローバル化が日本企業の経営にとってますます重要なのは間違いありません。だからとにもかくにも「グローバル化」が重要で大切で必須で不可欠で時代の趨勢、避けて通れませんよ! という話になります。ここに落とし穴があります。

ことの本質を押さえずにグローバル化のかけ声に飲み込まれジタバタするとロクなことになりません。グローバル化の本質は単に言語や法律が違う国に出て行くことではありません。経営の「非連続性」にこそグローバル化の本質があります。

ヨーロッパから来た宣教師たちは、母国と異なる言語や文化、生活習慣に直面しました。しかし、こうした違いを克服することに一義的な挑戦課題があったわけではない。ヨーロッパでの宗教活動とはまるで違う、極東の日本という国でゼロからキリスト教を布教し成果を出さなければなりませんでした。この仕事そのものの非連続性に困難の正体があったのです。

ケーススタディー グローバル化の「非連続性」をどう乗り越えるか

ビジネスは絵画や小説のような純粋な創作活動とは異なります。普通の人に対して普通の人が普通にやっているのが商売です。天才の創造性やウルトラC級の飛び道具は必要ありません。大切なことほど「言われてみれば当たり前」。虚心坦懐(たんかい)に向き合えば、ほとんどすべての仕事はごく当たり前の論理に基づいています。

例えば、「相手の立場に立って物事を考える」。どんなビジネスにとっても必須の構えであることは言うまでもありません。商売はまず相手をもうけさせなければ話になりません。相手をもうけさせて初めて自分がもうかります。ところが、「グローバル化!」がかけ声倒れに終わっている会社の事例を眺めると、手前勝手なこちらの都合でアタマがいっぱいになっていることが多いのです。

グローバル化は相手のある話です。グローバル化には常にこちらが出ていく先の国や市場や人々がいます。自分たちだけで完結できる話ではありません。しかし、「日本はグローバル化しなければならない」とか「いま日本企業に必要なのはグローバル経営である」となると、なぜか主語の「日本」とか「日本企業」の内情ばかりに目が向いてしまいます。グローバル化してどこの市場で誰を相手にするのか、どういう人たちと一緒に仕事をしていくのか、相手の目線での注意が欠落しがちです。

グローバル化「される」側と「する」側

考えてみれば、鎖国体制の崩壊と開国以来、明治維新を経て現在に至るまで、日本は「グローバル化される」側にありました。グローバル化の対象としての経験は豊富に持っています。グローバル化される側としての日本は、もはやベテランの域に達しているといってよいでしょう。

日本が言語的にも、文化的にも、地理的にも、かなり独自性の強い国であるということが、グローバル化を困難にしていることは確かです。しかし、それは同時に日本へとグローバル化してきた海外の企業の側にも大きな非連続性があったということを意味しています。

日本に入ってきた外国企業の成功や失敗の歴史に目を向けてみれば、多くの示唆と教訓を引き出せるはずです。例えば日本IBMに代表される日本に根をおろして商売をしている外資系企業は、かつてどのように非連続性を乗り越えたのか。それよりもはるかに数が多い日本へのグローバル化に失敗した企業は、どこでどのようにしくじったのか。こうしたことを考えてみると、グローバル化しようとするときの「相手の立場」をより深く理解できるはずです。なにぶん「相手」がわれわれ自身だったのですから。

グローバル化という挑戦の矢面に立っていた宣教師

「クアトロ・ラガッツィ」が描いている外国人宣教師。彼らも日本に入ってきた人々です。ご存じのとおり、日本にキリスト教宣教師がやって来たのはヨーロッパの大航海時代。ヨーロッパ世界にとって、ローマ帝国時代以来の本格的なグローバル化の時代でした。交易の拡大とキリスト教の布教、この2つが両輪となってグローバル化を推進しました。本書は後者に焦点を当てています。キリスト教布教のために日本に来たイエズス会士たちは、まさにグローバル化という挑戦の矢面に立っていました。

日本に来た宣教師たちの努力によるグローバル化の一大成果が天正遣欧少年使節団でした。「4人の少年」は実に2年という歳月をかけて海路はるばるヨーロッパにたどり着き、スペインやイタリアで熱狂的歓迎を受け、ついにローマではときの教皇グレゴリオ13世と謁見するに至ります。日本史の教科書的な知識では、「こんなに昔、ヨーロッパから隔絶された戦国時代の日本から、4人の少年がはるばる海を越えてヨーロッパに行きました、すごいですね、以上」という話で終わってしまいます。

ところが、ローマ教会という相手の立場に立って眺めてみると、彼らの来訪は、当時のヨーロッパ、ローマ教会の側からしてみれば、現在のわれわれの想像をはるかに超えた重大極まりない出来事でした。ここが非常に面白いところなのですが、このあたりの認識が(この本を読むまでの僕を含めて)普通の日本人はほとんど理解していません。日本に来た宣教師たちが少年遣欧使節というプランを企画し実行した経緯を彼らの視点で見ると、グローバル化とそのマネジメントの本質が見えてきます。

楠木建(くすのき・けん)
一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授
専攻は競争戦略。1964年生まれ、東京都出身。92年一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部専任講師、同大学同学部助教授、同大学イノベーション研究センター助教授、ボッコーニ大学経営大学院(イタリア・ミラノ)客員教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科准教授を経て、2010年から現職。 趣味は音楽(聴く、演奏する、踊る)。

この連載は日本経済新聞火曜朝刊「キャリアアップ面」と連動しています。

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

著者 : 若桑 みどり
出版 : 集英社
価格 : 1,015円 (税込み)

クアトロ・ラガッツィ 下―天正少年使節と世界帝国 (2) (集英社文庫 わ 13-2)

著者 : 若桑 みどり
出版 : 集英社
価格 : 929円 (税込み)

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