井上芳雄です。4月はシス・カンパニー公演『奇蹟 miracle one-way ticket』の舞台が10日まで東京・世田谷パブリックシアターで、13~17日には大阪・森ノ宮ピロティホールで上演されます。記憶をなくした名探偵と、その親友のコンビが事件を解決するミステリーですが、その謎には哲学から宗教、伝説、実際の事件、時事問題といろんな要素がからみあってくる一筋縄ではいかないお話。6人の出演者はみんなお芝居が大好きという気持ちで団結しているカンパニーで、すてきな仲間たちです。

僕の役は、警視庁などのコンサルタントも務める私立探偵・法水連太郎(のりみず・れんたろう)。法水の高校時代からの親友で、現役の医師である楯鉾寸心(たてほこ・すんしん)を鈴木浩介さんが演じています。2人はお互いをホームズ、ワトソンと呼び合う仲の名コンビです。探偵は何かの依頼で、山奥の“迷いの森"に呼び出され、そこで何者かによって傷を負います。法水を探しに森に入った楯鉾は彼を見つけるものの、法水は記憶をなくしていて、誰に呼び出されたのか覚えていません。そこに探偵を助けた女性・マリモが現れ、彼女の祖父である竿頭寛斎(かんとう・かんさい)が依頼主らしいと分かるのですが、その寛斎も行方知れず。そのうち探偵は記憶を少しずつ取り戻し、キリスト教の奇蹟に関連した出来事が謎を解く鍵として浮かび上がってくる……という話です。
劇作家の北村想さんが書かれた新作オリジナル戯曲で、探偵ものではありますが、宗教や科学や哲学といったいろんな要素が取り込まれています。北村さんが「謎解きなんて、きっとお客さんには最後はどうでもよくなっていますよ」と言っていたように、謎を解くことが目的ではなく、お客さまそれぞれの知識や興味に合わせて楽しんでもらえる話なのですが、実際どんなふうに受け止められるのか、稽古中は想像がつきませんでした。
なので公演初日に幕が開き、劇場が大きな笑い声や拍手に包まれて、予想を上回る大きな反応をいただいたときは、びっくりもしたし、思った以上に楽しんでくださっていることがすごくうれしかったです。こんな感じで受け取ってもらえるのかというのが分かり、そういう意味で、いい初日でした。演劇のお客さまはすごいな、理解力があるな、ともあらためて思いました。これ伝わるのかな、と思うような複雑だったり難解だったりすることでもキャッチしてくれるし、しかも分かることがすべてじゃないというか、それぞれの楽しみ方で物語を味わってくれているのが伝わってきました。お客さまの前でお芝居をする方が断然楽しいし、やりがいもある。本当にお客さまって最高だと思いました。
舞台上では最初に、浩介さんが演じる楯鉾が語り部として出てきて、客席に向かって話しかけます。第一声で自分の名前を言うのですが、そこでもう笑いが起こりました。「すごいな、まだ名前を言っただけなのに……」と舞台上でベッドに寝ていた僕も、思わず笑ってしまいそうになりました。冒頭から手応えがありました。
僕が歌う場面の反応も、思った以上でした。法水は記憶をなくしているのですが、急に何か歌いたくなって、実は自分は歌うのが好きなんじゃないか、といううっすらした記憶とともに歌い始めます。僕自身がミュージカル俳優で歌手であることのセルフパロディーになっているので、お客さまは笑ってくれたし、きっと歌は歌として聴いてくれたのではないでしょうか。そんな演劇ならではの面白いシチュエーションも楽しめるお芝居です。
初日には北村さんも観劇されていました。稽古中はZoomの画面越しだったので、ご本人とお会いしたのは初めて。ひょうひょうとしている方で、見終わったあと、うれしそうに「僕たちぐらいの年代の者からすると、とても懐かしい感じがします」と言われました。おそらく探偵の世界にノスタルジックな思いを抱かれたようです。自分が書いたものなのに自分が書いたのではないみたいな感想で、作品が自分の手から離れたことを噛みしめているような感じでした。北村さんの作品には初めて出させていただきました。演劇界を代表する劇作家の新作に携われたのは、とてもありがたいことで、得がたい経験です。
今回、僕の新型コロナウイルス感染で初日が1週間ほど延びて、いろんな方にご心配やご迷惑をおかけしました。体調はすっかり元に戻りました。舞台稽古の最初のころは体力が落ちていたり、声が通りづらい気もしましたが、だんだん戻ってきて、初日には万全でした。まだ分からないことも多いウイルスなので、お客さまの前に出るまでは不安やプレッシャーもあったのですが、幕が開いてからは全然問題はありません。初めて自分の体調のことで公演が中止となり、初日が延びてご迷惑をかけるという経験をしたので、その重みを含めて、毎日を大事に過ごしたいと思っています。