美貌に隠れた権力 古代エジプト王妃ネフェルティティ

日経ナショナル ジオグラフィック社

ナショナルジオグラフィック日本版

古代エジプトの王妃ネフェルティティの胸像。一部の学者は、夫亡き後ネフェルティティがファラオとして国を治めたと考えている(BPK/SCALA, FLORENCE)

古代エジプト王アメンホテプ4世の正妃であるネフェルティティは、美しい容姿で広く知られているが、その生涯の大部分は謎に包まれている。

アメンホテプ4世は、エジプト古来の多神教から太陽神アテンを信仰する一神教へ改宗し、大胆な宗教改革を行ったファラオとして有名だ。後に自らの名を「アクエンアテン」(アテン神に仕える者の意)と改め、首都を現代のアマルナへ移し、そこを「アケトアテン」(アテン神の地平線の意)と名付けた。

しかし、その改革は長くは続かなかった。アクエンアテン亡き後、エジプトは元の多神教へ回帰し、その後継者たちは王の名と功績を歴史から消し去ろうとした。アケトアテンは打ち捨てられ、アクエンアテンとネフェルティティ、その家族を描いた芸術品は破壊され、2人の遺産は数千年の間、葬り去られていた。

アクエンアテンとネフェルティティは、アケトアテン(現代のアマルナ)に首都を移し、太陽神アテンを崇拝した(KENNETH GARRETT)

世界に知られた胸像

ネフェルティティの栄光が現代によみがえるきっかけとなったのは、1912年12月6日、ドイツ人考古学者のルートヴィヒ・ボルヒャルトが、アマルナの遺跡でネフェルティティの胸像を発見したことだった。

宮廷彫刻家の工房跡で発見された胸像は、3000年もの間、極めて良い状態で保存されていた。ボルヒャルトは、発掘日誌に次のように書き残している。「つい最近色が塗られたばかりのような鮮やかさ。見事な細工。言葉では言い表すことができない。実際に自分の目で確かめるしかない」。高い頬骨、ほっそりとした首、まるで生きて呼吸しているかのような表情は、美とエジプト芸術の象徴となった。

とはいえ、20世紀の西洋の学者によって書かれた多くのエジプト史には、ネフェルティティの名がほとんど出てこない。その多くはアクエンアテンの宗教と政治改革に焦点が当てられ、ネフェルティティは美しい王妃であり母であったというような脇役的扱いしかされていなかった。しかし最近の研究により、その役割ははるかに複雑で、国政と、とりわけアテンを信仰する一神教の確立に深く関わっていたらしいと考えられるようになっている。

1912年にアマルナで発見されたネフェルティティの胸像。ドイツ、ベルリンにある新博物館に保管されている(BPK/SCALA, FLORENCE)
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ネフェルティティとはどんな人物だったのか?