
厳しい稽古に負けなかったのは、自分の弱さを把握していたから
――なぜモチベーションを落とすことなく、そこまでやり抜けたと思いますか。
前回も少しお話ししましたが、1つは「切磋琢磨(せっさたくま)し合える仲間」です。大学の後輩の丸山城志郎や、旭化成の後輩で東京五輪81kg級金メダリストの永瀬貴規が、私よりも練習の虫なんです。特にコーチと3人で個別合宿をした永瀬は、稽古を全然休まないんですよ。だから私も休まない、となるわけで。2人ともオーバーワークになるほど稽古することが定番になっていました。そんな後輩たちと切磋琢磨し合えたことは、とても大きいと思います。
2つめは、学生時代に受けた「柔道家としての教育」だと思います。中学・高校一貫指導の全寮制柔道私塾「講道学舎」での恩師、持田治也先生(世田谷学園柔道部監督)には、「人間易きに流れる」と教えられてきましたし、「妥協するな」とも言われました。柔道家としての美学や心得を、中高生時代にたたき込まれ、精神的に鍛えられてきたことが、妥協できない人間になったようにも思います。
もちろん勝ちたいからつらい稽古を続けるのですが、長い人生を俯瞰(ふかん)したときに、勝ち負けは自分にとって大したことではないんです。勝とうが負けようが、柔道家として妥協せずに挑むほうが大切ですし、勝負を超越したところに、人生の財産となる人間的成長が得られるとも思うのです。
3つめは、「自分の弱さ」を把握していたことも大きいと思います。
――自分の弱さですか。
今ではみんな信じてくれませんが、私自身、小学校6年生のときの体重は50kgほどしかなく、小中高と体が小さくて本当に弱かったんです。東京五輪前に持田先生と電話で話したときに、「お前はその弱さを知っていることが強いんだ」と言葉をかけてくださって腑(ふ)に落ちました。「自分は弱い」と思いながら東京五輪に向かったことが、妥協のないトレーニングや稽古につながっていたのだろうと。
私のバイブルの1つに、宮本武蔵を描いた漫画『バガボンド』(井上雄彦作、講談社)があり、「弱さを経ない強さなんて、ないでしょう」というセリフがあるんです。弱さを経たその上に強さがある。まさにその通りだなと思ってスマホにメモしました。自分自身も「まだ弱い」「まだ弱い」と思い続けながら、少しずつ強くなってきたと思います。
金メダルにつながった「防衛的悲観主義」
――自分自身の弱さと向き合い続けることは一見気がめいりそうですが、それをきちんと認識したからこそ、自分を追い込むことができたということですか。
そうですね。周りからちやほやされ、「俺は強いよ」「東京五輪も当たり前のように勝ちますよ」などとなった時点で、自分の弱さを見つめていない証拠だと私は思います。謙虚さを欠いた時点で自分の負けが確定するんじゃないかなと。
――自分の弱さを見つめて不安になるからこそ、そこまで練習すると。

そうだと思います。東京五輪の前、全日本柔道男子代表の金丸雄介コーチに「お前の考え方は、防衛的悲観主義なんだよ」と言われました。心理学で研究されている分野で、過去にどんなに良い結果を出したとしても、不安を感じ最悪の結果も予測して、それを避けるために頑張るというような特徴だそうです。本当にその通りで、不安だから稽古するんですよね。トップアスリートほどポジティブ思考というイメージがあるかもしれませんが、私の場合、常に負けるイメージを先行させ、負けたくないから弱点をカバーするようなトレーニングや稽古を徹底し、勝ちにつなげてきたように思います。
東京五輪の決勝では、シャフダトゥアシビリ選手(ジョージア)との延長戦になりましたが、その試合の最中も、相手と組みながら自分が負けるシチュエーションを思い浮かべていたんです。自分がこうなったら投げられる可能性があるなと冷静にイメージできたので、そうならないようにコントロールしていました。試合が長引けば長引くほど、自分が有利になるとも想像していました。
悲観的に考えたからこそだと思います。毎日の稽古で負ける姿をイメージしてそれを防ぐ稽古をし続け、あらゆるものを想定内にできたからこその、金メダル獲得だったと思っています。
(最終回に続く)
(ライター 高島三幸)
