
東京五輪柔道男子73kg級で金メダルを獲得した大野将平選手。トップアスリートはポジティブ思考のイメージがあるが、彼は悲観的に考えることで金メダル獲得につなげたという真逆のアプローチだった。それはどんな考え方で、どのようなトレーニングや稽古を積み、連覇を成し遂げたのか、大野選手の思考に迫った。
「金メダリストという肩書は一生消えない」に救われた
――前回記事(「五輪連覇・大野将平選手 『勝って当然』に打ち勝つ力」)で、リオデジャネイロ五輪よりも、連覇がかかった東京五輪へ挑む方がつらかったとおっしゃっていましたが、心の支えとなった言葉や考え方はありますか。
連覇に挑む私に、「大野は金メダルを1個取っているのだから、もし2連覇達成できなかったとしても、金メダリストという肩書は一生消えることはない」と、東京五輪全日本柔道男子代表の井上康生監督(当時)は何度も言ってくださいました。
井上監督自身、アテネ五輪での連覇はかなわなかったですが、それよりもシドニー五輪で金メダルを獲得されたことや、今回の東京五輪で監督を務められたことの方が記憶に残っている人は多いと思います。そうしたご自身の経験や感覚も交えて、「だから連覇を気にせず思いっきり挑戦しろ」と励ましてくださったんだと思うんです。そんな言葉に救われましたし、目の前の稽古に集中しやすくなりました。
また、「誰のまねもしなくていい」という言葉も支えになりました。母校・天理大学の先輩には、五輪3連覇という偉業を果たされた野村忠宏先輩がいます。身近にそんなすごい先輩がいるとまねしようと思ってしまいますが、井上監督は「まねをするのではなく、自分でしか歩めない道を歩むように考えて行動しなさい」とおっしゃいました。確かに連覇への目指し方は人それぞれ。自分なりに考え、自分が一番いいと思ったやり方を選択できた気がします。
――自分自身のやり方とは?
これも井上監督に常々言われていたことが影響しているのですが、「連覇するためには、異常になれ」と。
――異常とはどういうことですか。
今はスポーツ科学を生かした効率的なトレーニングや稽古をするような世の中になりました。でも、私が中高生のときは、今の時代だったら理不尽だと言われるような、尋常じゃない質と量のトレーニングや稽古を繰り返して、心身ともに鍛えられてやっと強くなることができたのです。そんな環境で育ってきたので、強くなるには勇気や覚悟をもってそこに挑むことが、自分に合ったやり方だと思いました。だから五輪で2連覇をするために、異常になろうと。異常なほどの質と量のトレーニングや稽古を自分に課して、乗り越えるしかないと思いました。
――異常なほどの稽古とは、どのようなものですか。
例えば、稽古の前にトレーニングをして、自分自身がだいぶ疲弊した状態で、天理大学の後輩たちと乱取りの稽古をして徹底的に追い込みます。元気な状態で学生と組んでも、私の方が強くトレーニングにならないので、体力が残っていない状態から本格的な稽古を始めるんです。なおかつ、後輩の中でも私に遠慮せずにかかってきてくれるようなメンタルの強い学生にお願いして、自分が嫌だと思う組み方などで乱取りの稽古をしてもらいました。
私は 「自分がどうなれば負けるか」「どんな組手をされたら嫌でイライラするか」という自分が負けるシチュエーションや弱点だけを常に考えていました。自分がやられて嫌だと思う組手の稽古をして体と心をとことん苦しめることで試合に臨めるとも思い、普段から徹底していたんです。柔道の醍醐味は投げることですが、投げて気持ちがいいだけの稽古は単なる自己中心的な稽古であり、大舞台で勝てるわけがありません。
――自分で自分を倒すような稽古ですか。
そうです。自分がどうしたら負けるかは、誰よりも私自身が一番分かっていましたし、負けパターンの試合を想定して稽古することで、「想定外のことを想定内にする」を目指しました。
つまり負ける原因の多くは、自分が知らないことや驚くことが起こったときです。だから、試合で想定外のことやトラブルが起きても驚いたり焦ったりしないように、稽古で克服することを何よりも重視しました。
――その積み重ねが大舞台での結果につながると。
本当に地道でしんどい作業ですが、毎日それを黙々と続けるしかなくて。周りからしたら、私の稽古スタイルはなかなか理解できなかったかもしれません。ここまで徹底してやる選手はあまりいないと思うので。