川内有緒 全盲の美術鑑賞者とめぐる発見と驚きの旅
「じゃあ、なにが見えるか教えてください」
全盲の美術鑑賞者・白鳥建二氏にそう言われて、ノンフィクション作家の川内有緒は「そうか彼は『耳』で見るのだ」と理解した。そこで、目の前の絵を見たままに伝え始める。「ひとりの女性が犬を抱いて座っているんだけど」。『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』の最初のエピソードである。この段階では、全盲の人と絵を見る=絵の説明をすることだなと、読者は思う。しかしそれは、思いもよらぬ発見と驚きに満ちた、とても楽しい美術鑑賞の旅の、ほんの入り口にすぎなかったのだ。
「白鳥さんは、年に何十回も美術館に出かけている人。美術館で教育普及の仕事をする友人・マイティが、『白鳥さんと作品を見ると楽しいよ』と誘ってくれたのがきっかけで、3人で美術館を巡るようになりました。白鳥さんと絵を見ていると、同じ作品でも印象が変わったり、初めは目に入らなかったディテールに気づいたりすることがよくあって。目の解像度が上がったような感覚です。もっと伝えたい、という思いが自然に湧いてきて、目に見えているものだけではなく、自分の感想や、思い出話まで、たくさん話をしてしまう。画家や作品についての知識や理解を求める鑑賞の仕方とはまったく違う面白さがあるんです」
会話は、アートのことだけにとどまらない。「道に迷ったらどうするの?」「点字ブロックって役に立つ?」「色は分かる?」――。知り合ったばかりの頃は遠慮して聞けなかったことも、理解したい、と思うから聞く。鑑賞後の、お酒を飲みながらの会話も示唆に富んでいる。
「人間同士が会話をしていくことの面白みを伝えたい、という気持ちはありました。コロナ禍になって、出かけたり、ワイワイ話をしたりすることは難しくなってしまいましたが、その場に居合わせたメンバーだからこその会話、その時にしか生まれないものを書き留めたかった」
米国企業やパリのユネスコ本部で働いた経験を持つ川内は、"違う"ということに対してかなりオープンなはずだ。しかし、「白鳥さんと話していくうちに、自分の考えは凝り固まっていたんだなと気づかされた」と振り返る。
「例えば、私が外国人に対して壁がないのは、一緒に仕事をした経験があって、よく知っているからです。でも、障がいや差別についてはあまりにも知らなさすぎた」
だからといって、「相手のことを知って、分かった気になってしまうのも危険なこと」だと言う。
「すべての人は違うし、違ったままでいい。『すべき』『あるべき』と強要しては、相手も自分も苦しくなるだけ。思いやりながら、でも、最後のところは、分かり合えなくてもいいや、と開き直れる。その余裕は持っていたい」
知らない国の本を読み、旅をすること。美術作品を見たり、隣の人と話したりすること。そうやって得た知識と想像力を駆使して、あるがままの存在に手を伸ばしていきたい――。川内の決意は、本書で紹介される作品が放つメッセージともリンクしていく。
「美術の本といえば画家や作品が対象で、鑑賞者に光を当てたものはほとんどないと思うんです。でも、美術に限らず、音楽も演劇も、すべての文化は、作る側だけではなく、鑑賞者側の見る力、読み取る力、楽しむ力があってこそ、花開くもの。鑑賞という行為そのものの面白さも伝えられればと」
心の目が開かれる1冊である。
全盲の美術鑑賞者・白鳥建二氏とのアート鑑賞の旅を、明るい筆致でつづったノンフィクション。西洋絵画の巨匠に始まり、クリスチャン・ボルタンスキー、大竹伸朗、風間サチコ、興福寺の仏像など、作品の前で交わされる会話は、読む者の心にさまざまな思いを巻き起こす。文中に登場する作品については、カラー図版も多数掲載されており、著者たちの会話とともに鑑賞を追体験できる。(集英社インターナショナル/2310円)
(ライター 剣持亜弥)
[日経エンタテインメント! 2021年10月号の記事を再構成]
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